最近いろんな人に薦めている映画が『凶悪』(監督/白石 和彌・2013年)である。
このどす黒いエンタメをもう一度、みなさんと共有したいと思いまして。
死刑が確定している暴力団組員が「自分にはまだ余罪があり、共犯者は娑婆で自由に暮らしている。その人間を逮捕して裁いてほしい」とジャーナリストを通じて訴えるという前代未聞の事件を記した同タイトルのノンフィクションが原作。新潮文庫『凶悪ーある死刑囚の告発』として発売中。
不動産ブローカーと組み、狙った獲物(主に老人)を殺害しては、彼らの財産を金に換える。
「先生」と呼ばれるブローカーが指揮し、ヤクザがそれを実行するという凶悪コンビ。関わった事件は複数に上る。
ヤクザとこの事件を告発した掲載誌「新潮45」がじわじわと「先生」を追い詰めていく過程など、なかなか読み応えがあるのだが、映画を観てからの方が理解しやすく読めると思う。
この作品の肝は役者の起用。主人公のジャーナリスト役は山田孝之が手堅くまとめるが、ヤクザ役にピエール瀧、「先生」役はリリー・フランキーなんである。この二人はプライベートでも友達なんですよね。
今までの彼らのイメージは「優しいおじさん」なのだろうけど、この作品ではひょっとして潜在していたのかも知れない狂気や暴力性をご開帳してやりたい放題。
ピエール滝はその巨漢を生かして凶暴なヤクザそのものだし、リリー・フランキーは穏やかさの裏側にあるとんでもない残虐さを見せつける。
特に老人をアルコール漬けにして殺すシーン。「これ90度!90度!」とロシア産ウオッカを無理矢理口に流し込んだり、スタンガンを使って嬉々としてリンチするリリーさん。いいよね~、「東京タワー」の売り上げ、止まっちゃうかも知んないけどさ。
そしてラストの山田孝之との対決シーン。決まった!って感じである。やりきれなさの残るこの結末は秀逸だと思う。
しかし、ピエール&リリーコンビが死体処理をする際に頻繁に使う「ぶっこんじゃおう!」が、頭jから離れません。
そもそもヤクザが「先生」を告発した理由というのが「「自分が逮捕されたあと(生活能力に乏しい)舎弟の面倒を先生が見てくれると約束したのに、それをしなかったため、彼は自殺してしまった」というもの。
その復讐なのだけれど、さんざん人を屠っておいてなにを言うか!というのが普通の感覚であろうが、極道の世界ではまた違うのか?
(劇中では「それでは弱い」と思ったのか、リリー先生の口車に乗ってピエールが舎弟を撃ち殺すという展開になっていたが)
また、ピエールヤクザは人を殺すたびに線香を焚く。一応彼なりの弔いなのだろうが、カタギである我々の「でもな~・・・」感は禁じえない。これは事実に基づいている。
そして映画では触れられなかったエピソード。ヤクザの告発によって「先生」を司法の場に引っ張ることが出来た。ヤクザと「先生」は共犯ではあるのだが、この告発を裁判官は自首と見做し、「先生」の無期懲役に対し、彼には「懲役二十年」の判決が下る。
しかし別件では、すでに死刑が確定している。こんな展開も前代未聞だそうである。
最近ちょいちょい、松たか子主演の『告白』を観たり、同監督作の『渇き。』(これはどうでもいい作品でございました)を観たりして、社会的な気分だったりしたり、しなかったり。
社会運動は特に何もしていないのでした。
(「凶悪」で検索したら出てきた顔面タトゥーの人がインパクト大で思わず貼ってしまった)
『電人ザボーガー&ピー・プロ特撮大図鑑』(洋泉社)というムック本があるのですが、これがなかなか楽しめる。
70年代に特撮番組を制作していたピー・プロダクション。ウルトラマンや仮面ライダーのスタイリッシュさを本流とするならば、ピー・プロはなんともいえない野暮ったさが特徴。スパイダースに対するモップスのようなもの(余計わからない)。
スペクトルマンの絶妙に洗練から遠いデザイン。元々のタイトルが『宇宙猿人ゴリ』で、『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』からのー、『スペクトルマン』。初期は悪役の視点の特撮番組という珍しいパターン。
単に巨大化したゴキブリとか、怪獣も生理的に気色悪いものが多いようだ。
「ノーマン」なんてのは「白痴の青年が変貌した天才怪獣。生きた人間の脳を常食として徘徊し、一発で全人類を廃人にするゲラニウム爆弾を自ら製造」とのキャプションだけで、現在放送できる要素が見当たらないのですが。
ピー・プロ作品世代だとは思う。でも、再放送で見たかな~?という感じで、あまり記憶に残ってない。
東映の「快傑ズバット」やら「スパイダーマン」やら「イナズマン」やら「アクマイザー3」なんかは覚えている。とにかくあの頃は特撮番組が多かった。
ピー作品の『怪傑ライオン丸』『鉄人タイガーセブン』に至っては、人間体にライオンやヒョウの顔が乗ってるfだけっていう。
唯一のロボットキャラが『電人ザボーガー』で、これが2011年にリメイクされました。
監督は井口昇。最新作に知り合いが出演していたり、10年ほど前に松尾スズキの深夜番組に友人が出演した際には、かわうそ君の着ぐるみでお宅訪問していたという(ワンクッション置いて)縁がある人である。ていうか、ないんですけどね。
リメイクというとデザインを現代風にアレンジしたり、下手すると世界観まで変えられたりするのだが(原作どおりの設定なのに、なぜか出来はゴミ以下という「デビルマン」なんてのも存在する)、これはもう、そのまんま。
オリジナルのザボーガーはメタボ体系だが、リメイク版はさすがに小顔&スリムになっています。
前半でザボーガーを操る大門豊役のお兄ちゃんは、70年代そのままにTPOわきまえずヘルメット被ってるし、演技が(狙っているのだろうけど)クソ熱い。
∑団の女敵キャラ・ミスボーグは頭にだっさい角が生えているのだが、監督が「あれをなくしちゃダメなんだ」と、そのままのデザインを生かす。
ピンポン玉を二つに割ったものを目に付けているキャラもいて(マジでピンポン玉!)、これもそのままで登場。
車椅子の大幹部・悪之宮博士を演じる江本明はさすがの貫禄。カッコいい。
後半は25年後のストーリー。大門はファッションこそ当時のままだが、すっかり落ちぶれて糖尿を患い、腰の筋も弱くなっちゃってる。演じる板尾創路の枯れ方がいい。
そこへ登場する∑団やなんやかんや。親子で鑑賞する場合、前半で子供たちはアゲアゲになり、後半でお父さんしんみり。個人的にはやはり後半が肝。正義とは何ぞや?というシリアスな問いかけもあり。
あんまり板尾パートはいらんいらん言わないで下さいよ。
まず「やったあ!」と思ったのは、Jポップとタイアップせずに、子門真人が歌うオリジナル主題歌を使ったこと。ここに反応した先輩たちは多いはず。
思うに、巨大ヒーローのテーマソングはマーチ調だが、等身大ヒーローはマカロニウェスタンぽいマイナーな曲が多い。そんな嗜好も含めて自分は等身大ものが好きでした。
エンドロールにはオリジナル版の映像が流れるのだけど、井口版はこれらを全てそのままのテイストでリメイクしたのである。実はザボーガーってほとんど知らないので、「これ全部元ネタがあったのか」とちょっと感動。
特にトラックにブルドッグの顔をくっつけた「ブルガンダー」ってのは凄いです、発想が。
全体的にギャグの切り口ではあるのだが、70年代のテイストをそのままスライドするのであれば、「照れ」という演出は必要なんじゃないかと思うので、「もっと真面目にやれ」という意見はちょっとシリアス過ぎかと思う。
井口昇作品って(二本しか観てないけど)、最初はだらーんとした感じで鑑賞する。
が、エンドロールが流れる頃には「結構いい映画だなあ」。
先に挙げたムック本には当時の出演者・監督・脚本家などのインタビューが多数載っている。
彼らは「子供番組」と卑下することなく、誇らしげに当時を振り返っている。
ガチな大人の仕事だったんである。
思わぬ拾い物ってのはあるもので、最近観た映画で一番面白かったのは『デンデラ』(監督/天願大介・2011)である。面白いとは「笑いを禁じ得ない」という意味で。
姥捨て山の話である。そこまあではまあいい。ところが、どっこい生きてる山の中(ド根性ガエルっぽく)。
捨てられた老婆のうちの一人・メイ(草笛光子)がしぶとく生き残り、婆さんのみ助け出し(男は無常にも見殺し!)「デンデラ」なるコミューンを作り上げる。カユ(浅丘ルリ子)もメンバーによって命を助けられた。
そこで婆さんたちは何をしているかというと、自分たちを捨てた村を奇襲するための軍事訓練を行っているのである。いひ。いひひひひ。
メイが百歳になりいよいよ村への復讐決行!という直前、デンデラはヒグマに襲撃される。
ボスのメイが「熊なんぞおそれるな!こっちは40人もいる!」と、むちゃぶりな発動命令を下すが、どんどこ惨殺されるおばあちゃんたち。とにかく「熊(もろに着ぐるみ)とバトる老婆の戦闘集団」という構図が面白すぎる。はひはひ。
眼帯姿の賠償美津子は出て来るわ(カッコいい)、大雪崩は起きるわで、ノリとしては完全にB級アクション。
予告編を見ると「命とは?生きるとは?」みたいなことを問いかけているよな気がするのだけれど、なんにも答えてません。勇気や希望をもらおうとして、この作品を観たお年寄りの方々はどう思ったのだろうか?
なにしろ、自分たちと同世代の婆さんたちが熊によって次々と血祭りに上げられていくのだから。
先に挙げた面子に山本陽子を加え、往年の大女優の競合!というノリなのだけど、出来たのがこのトンデモ作品っていう。いやしかし、最近の邦画では最もアナーキーなパワーを感じた一本。世間の評価が低かろうが関係ない(婆さんたちが村を襲撃して男たちを皆殺しにするシーンがあれば、もっとよかったが)。
煮詰まったら「デンデラ~!」と声に出してみてほしい。きっと勇気がもらえる。かもしれない。
明日とあさっては心の洗濯のためお休みデス。よろしくお願い致します。
先日はまたブルースタジオ@北千住。『ソナチネ』鑑賞。これも二十回以上は観ているのだが、スクリーンでは初めて。この劇場はコンクリート打ちっぱなしの内装がカッコいい。席はガラガラ。七人。
槍に刺されたナポレオンフィッシュのオープニングが強烈だが、この愛嬌のある顔の魚が串刺しにされているというイメージは、作品におけるビートたけしの運命を象徴しているのか。
たけし演じるヤクザが最初から疲労している。「ヤクザやめようかなあ。なんかもう疲れたよ。」。
だけど「仕事」なので、雀荘のマスターさらってクレーンで東京湾に沈めたりするが、もはや何の感情も無い。
「もう三分過ぎたんじゃねえか?」
組長と兄弟分である沖縄の組織が他の組と揉めているので、たけしたちに応援に行ってほしいと頼まれる。「なに、大したことじゃないんだ」。
この組長がまったく好々爺然とした普通のおっさんで、さらにひゃっこさが倍増。
たけし一行が沖縄へとぶ。大したことじゃないという話しだったがいきなり事務所爆破。
危険ということで水道の電気もないあばら家で逗留するはめに。
東京ヤクザたちはすることが無い。ロケット花火で撃ち合ったり、ウィリアム・テルごっこをしたり、落とし穴作ったり、相撲とったり、沖縄民謡踊ったり。
命の保障がないにも関わらず、「やることねえもの」とそんな遊びに興じるヤクザたち。
抜けるような青空の効果も相まって、まるで夢みたいである。海と空のブルーに対し、赤いフリスビーや爆破した車の黒煙や、たけしの白い開襟シャツとのコントラストが映える。
敵対組織の描写は一切されず、沖縄の組長の「ナントカがナントカでナントカらしいんだ」との曖昧な説明だけが綴られ、抗争は激化していく。
普通はヒットマンというと黒スーツのイケメンかサイコ野郎だったりするが、いかにも南国にいそうな釣師のおっさんという発想はやっぱりすごい。
あまりにもオフビートなのでアート映画と見られるきらいもあるが、起承転結はあるし銃撃戦もある。それを北野武監督は曖昧にしたり、一瞬のカットで表現したりするのだが、実は立派な娯楽映画。
もう大コケした93年の公開当時とは違うのだから、観る側のセンスも磨かれていると思う。
(ちなみに『DOLLS』なんてこれはアート映画だろ?との思い込みでいまだに未見)
娯楽性としては一作目に軍配が上がるけど、たけし自身は役者としては経験が浅いので、ずっと仏頂面で通している。
ソナチネやっぱりいいなと思ったのは、ビートたけしの演技が素晴らしいから。
これだけ観倒しながらも改めてグッと来た。それはビートたけしの笑顔である。
無感情で人を殺すヤクザ者だが、子供みたいな遊びに興じているときに見せる無邪気な笑顔。これは今のたけしには絶対出来ない。
いかにも強面な男たちを配した中で、彼の何気ないスタイリッシュさは光る。
たけしと最後まで行動を共にする沖縄ヤクザの勝村政信は最後まで短パンで通す普通のあんちゃんだし、たけしを慕ってくる現地の女・国舞亜矢にも過剰に色気のある演技はさせない。
一番かわいがっていた舎弟の寺島進を殺された直後、たけしが一人でフリスビー遊びをするシーンは、さりげなくも悲しい。
観終わったあとにいつも「もわっ」としたものが残る。救いのない映画だが、なぜだかその「もわっ」は、ちょっと暖かかったりする。
先日は久々に北千住まで出向く。ブルーフィルム、じゃなかった「シネマ ブルースタジオ」という劇場で北野武特集なのである。
もう十数回観ているのだが、せっかくのホリデイですからってことで『その男、凶暴につき』(89年)を鑑賞。
名作じゃないでしょうか。初監督とは思えないくらいキレまくってます。これ、日本版ダーディー・ハリーをイメージしていたのかも知れないが、ハリー・キャラハンは正義という大義名分を持っている上で暴れてるのに対し、ビートたけし演じる我妻刑事には倫理観や正義感がまるで感じられない。ほぼ、己の衝動のみで行動する。
ホームレスを襲撃した中学生の後をつけ、家に上がりこんでボコボコにした上で自首を要請。
追跡した犯人に追いつかないとみるや、あきらめてだらだら歩き出す。しかもその犯人を車で轢く。
麻薬の売人には自白するまで連続ビンタ。マジでやってるよなこれ。
違法に逮捕した殺し屋(白竜)を監禁・拷問。たけしを狙って白竜が発射したピストルを足で蹴れば、弾が逸れて通行人のねーちゃんの頭を直撃(これ、ギャグのつもりだったのかなあ?)。
自身の脚本ではないが、たけし節がそこら中で炸裂。
海外公開版のタイトルは『VIOLENT COP』らしいが、それじゃ「あぶないデカ」だよ全然ちげーよと思う。
とても体温が低い作品。冷血と言ってもいい。これに比べたら極悪非道を謳った『アウトレイジ』なんかは「仁義」のテイストが裏レシピなので、だいぶ叙情的である。
キャスティングも白竜、レストラン経営者で麻薬の元締め・岸辺一徳、警察署長の佐野史郎(警官というよりナチの高官にしか見えない)など、役者の爬虫類度の高さがさらに体温を下げる。この作品を見て以来、何をやっても目が死んでる岸辺一徳がとてもこわい。
ちょっとだけほっこりするのが、知的障害があるらしい妹役の川上麻衣子だが(もちろん具体的な説明は省略)、それとて悲惨なラストを迎える。そしてたけしの死に様に関しては「おお!こんなカッコいい演出だったなっ」と改めて感心する。
しかし当時のたけしのカッコよさは特筆もの。自然体なんだけど、とんでもないヤバさを秘めた雰囲気。要するに艶っぽいということか。
カメラマンが被写体として撮りたい男のダントツ人気は、「ビートたけしと泉谷しげる」という記事を昔、何かの雑誌でちらっと読んだ記憶がある。
暴力はド派手に展開すると痛快だったりするが、小出しにされると見ている者にも痛みを伴う。
北野作品の基調であるところの、突発的に巻き起こる暴力。歯医者のドリルで口の中をグチャグチャにしたり、バッティングマシーンのボックスに縛りつけて死ぬまでデッドボールを浴びせたりとかね。
実は本作と次作の『3-4x10月』は封切で観ているので、自分は先見の目があるなあと思う。
来週は結局やっぱり大傑作であるところの『ソナチネ』をみにいくんだ。
客は全部で四人。都営じゃなきゃ確実につぶれてる。
鑑賞後、「吉田類」みたいな友人のナビで北千住と、浅草橋まで出向いて飲む。財布に優しい店じゃなきゃおっかなくて酔えない。オレにはハモニカ横丁なんていらない。