『ヘイトフル・エイト』を鑑賞(@新宿ピカデリー)。やはり外さないタランティーノ。
公開中だしミステリーものなのでネタバレ仕様では書きたくないんだが、そこはタリラリラン監督なので、生粋のミステリファンなら怒りそうな「トリック」を堂々と用いている、とだけ記す。
タラ組総登場といった趣の出演者もいいし(サミュエルxカートxクリストフxティムxマドセンxスタントマンのねーちゃん)、モリコーネの音楽も重厚だし(今までみたいにタラがDJやってるようなサントラじゃないのはちょっと残念だが)、70ミリフィルムで撮影したというどかーんとした画面もカッコいい。日本では70ミリをかけられる映画館ってのがないらしいので、そのままの上映が出来ないのが残念。
アメリカの「南北戦争」が背景。ゆえに「リンカーン」のキーワードが大きな意味を持つ。
今回はR-18、つまり成人映画。たしかに強烈な残酷描写はあるが、この人の作品っていつもこんなもんじゃないの?という気がしなくもないんだけど。しかし「賞金首のおばちゃん」が終始、カート・ラッセルにどつかれまくってるのは笑った。フェミニズムからの見地とか、そんなん知らん。
3時間の上映時間中、ほとんどが会話劇だが、ワルそうな奴らがどれだけ本当のことを言っているのかと、緊張感が途切れない。『イングロリアス・バスターズ』の酒場のシーンが延々と続くような雰囲気か。
ということでブログおわりです。と思ったけど、『バスターズ」をこの前観返したらやはり面白かったので、そっちにスライドします。
これは「家族を殺されたユダヤ人の娘がヒトラーたちナチスを皆殺しにする」という歴史的には大間違いの映画なので、『INGLOURIOUS BASTERDS』とスペルミスだらけのタイトルを「文句ある?」と、堂々と掲げている。
世界中で大喝采。ドイツ人もヒトラーは嫌いらしい。
ブラッド・ピットが一応主演だけど、ユダヤ・ハンターのハウス・ランダ大佐(クリストフ・ヴァルツ)が全部持っていってしまっている。バイリンガルで知性を備えた紳士だが、シュークリームでタバコの火を消すゲス野郎でもある。
ランダ大佐を始め、ユダヤ娘ショシャナに恋する戦場の英雄、子供が生まれたことを喜ぶ兵士、酒場でタマを狙い合うシーンが強烈な切れ者のゲシュタポ、ナチであることを誇りに思い堂々と「ユダヤの熊」に撲殺される将校など、あっち側の人物造形のほうが木目細かい。
総統閣下はなぜか白いコートを羽織り、「バスターズ」の存在にビビッてヒステリックに叫び、戦気高揚映画を観てグヒヒヒと笑うゲスなおっさんとして描かれており、これはこれでおもろい。
一方、善玉のバスターズだが、ボスのブラピからして「ナチは人間じゃねえ!手足をバラバラにして内臓を引きずりだせ!」「奴らの頭の皮を百枚持って来い!」と大変野蛮で凶暴。
どちらが善か悪か?といったシリアス方面には捕われずにストーリーは進む。少々バランスは悪いが全然問題ない。ははは。
彼らバスターズとショシャナがタッグすら組まずにナチス皆殺しという、よく考えたらありえない話なんだけど、無理を通せばナチがひっこむ。
映画の中でヒトラー、ゲッペルス、ゲーリングたちは雑巾のように殺されたが、実際の彼らは自殺していて、要するにやり逃げ。
イングロは「こうなればよかったのに」という歴史を描いた作品なんである。
ラストのどす黒い逆転劇にも思わずニヤニヤ笑い。
『ナチスの発明』(武田知弘/彩図社)という本があり、これはナチスドイツが開発した発明品に焦点を当てたもの。
PAなどの音響システム、高速道路、テレビ放送や国民ラジオ、宇宙開発、ジェット機、ヘリコプター、労働者へのバカンス、少子化対策、ガン対策、なんと源泉徴収まで。
ゲルマン民族に対しては大変優しく優秀な政党であったらしい。
デビッド・ボウイはナチに傾倒していた時期があったし、ミック・ジャガーはヒトラーの演説をパフォーマンスのヒントにした。カギ十字のパンク・ファッションも、世間に禍々しい自分を見せつけるための危険なアイテム。セルジュ・ゲンスブールはユダヤ人である自分の立場から、ナチをコンセプトにしたアルバムを作った。
日本も沢田研二やYMO、最近のアーヴァンギャルドまでナチ・イメージを流用するミュージシャンがちょいちょい、途切れない。
ナチからインスピレーションを受けた映画、小説、漫画など数多く、「収容所もの」のゲテモノポルノから手塚先生の「アドルフに告ぐ」までとても幅広い。
ベルリン・オリンピックの記録映画『民族の祭典』を劇場で観たときも、その構築美にはクラクラしたし、これはヤバいとも思った。撮影した女流監督は戦犯とされたが、「わたしはアートを作っただけ」と主張して無罪になった。
怒られそうだが、これほどサブカルチャーに影響を与えた政党はいないのである。ヒトラーのポップスター的な存在感も否定しがたく、かの制服が放つ悪の魅力ってのは確かにある。
日本のナチコスはほとんどゲシュタポで、見てくれが一番カッコいいからなんだろう。高級将校が着ているものは案外シック。要するに、無思想(それも、ほどほどにしたほうがよろしい。ひとつの民族を根絶やしにしても良いという危険な美意識と引き換えのスタイリッシュさなんだから)。
海外のネオナチはMA1とドクターマーチンで武装する。嫌だねえ。
ネオナチが平然と語る「ユダヤ人虐殺はデマ」ってやつ、あれもすごいですよね。
「アベ政権はナチスと一緒だ」とよく言われるが、この本を読むと少なくとも「自国民だけ」は幸福にしようと奮闘していたらしい。てことはアベ政権は、ナチス以下ってことになる。
話が完全にそれました。なんだこれ。
なにもかも際どい・・・赤バックにガスマスクはロメロの「ゾンビ」ですね。
もはや古典の『時計じかけのオレンジ』を久々に鑑賞して、「今みるとここがなあ」といったダサさが一片もないことに少々驚く。
映画史上に輝く最も洗練されたウルトラ・バイオレンス作品。1971年のロックを使用すればまた違ったものになったかも知れないが、キューブリックはそれをしなかった(ロックバンドに興味がなかっただけかもしんないが)。
全編ベートーヴェンと、オリジナルの電子音楽。これが作品を古びさせない大きな要因で、サントラを聴くとクラシックであるベートーヴェンがまた違って聴こえる。店でもたまに流しているけど、なにやら荘厳かつちょっと尖った気分になる(ただし、「ウィリアム・テルの早回し」で我に返る)。
よく「xx年代の時計じかけのオレンジ」というコピーを見かける。つまりエポックであったということで、ロックを使用せずとも最高のパンク・オペラ。ホラーショー!!
暴力・強奪・レイプ(あと3Pとか)が大好きな主人公アレックス(マルカム・マクダウェル)をロック少年ではなく、ベートーヴェンをこよなく愛する知的なキャラクターとしたところがやはり素晴らしい。平成のチーマーにそんな奴はいないよ、多分。
しかもご両親健在の、団地住まいのぼっちゃん。ただ純粋に人を痛めつけるのが好きなだけ。
スラムから暴力で伸し上がり「ロックンロールは心の叫びだぜ!」ならば反逆児と呼べるだろうけど、彼はそうじゃない。最高級のスピーカーでベートーヴェンを鳴らせる家がある。
ドルーグ(仲間)もいるが、ボンクラばっかり。抜きん出た残酷さを持つアレックスは、彼らも暴力で支配する。
しかし、マルカム・マクダウェルは若き日のミック・ジャガーのような悪魔的な風貌を持ち、上目使いで冷笑する顔は実にパ-フェクト!(同じような挑発的な目つきをする女性に栗山千明さんとかアーヴァンギャルドのボーカルの人がいるが、あれもちょっとたまんないっすねぇ)
結局アレックスは仲間に裏切られ服役。ここで出てくる刑務所長がコメディリリーフとしてかなりいい感じ。
政府が研究中の実験モルモットに志願することによって、娑婆への復帰を約束されるのだが。
まあ有名な作品なんですが、「暴力には抑止力を!」ということで、アレックスは固定されて大好きな「超暴力」を見せられているうちに吐き気がして気分が悪くなる。そうした実験で暴力衝動を排除するのが政府のやりかた。
しかもBGMにベートーヴェンが使用され、アレックス絶叫。
「これはひどいよ!彼は何も悪くない!!」
アレックスは他人に抵抗できなくなり、ベートーヴェンを聴く事もできなくなる。
その状態で娑婆に開放されるが、自分の部屋には居候がでかいツラで居座り、かつて痛めつけたホームレスに復讐され、警察官となった元ドルーグたちにもリンチされる。
「ウェル、ウェル、ウェル!」と不敵に笑うデブ。いいシーンである。
「人間性の回復」とか「善悪とは?」といったことがテーマになる後半なのだが、十数回も観てると「これはこれで別にいいんじゃね?」という気になってくる。
「猫おばさん」(だいぶ痛いキャラ)を殺害し、作家夫婦の家庭を崩壊させ、余罪もいろいろ。敬愛するベートーヴェンを聴けなくなるくらいは妥当な罰なんじゃないか。そもそも普通に生きていればボコりボコられなんて場面は、そんなにないはずなのだ。
昨今の残酷な少年犯罪。やらかした事に対しての妥当な判決もほとんどないだろうし、クロックワーク式の刑罰なんかも実際の話、アリなんじゃないかと思う。
例えばバックストリートボーイズとかダフトパンクとか(こいつらはほとんど邦楽)、AKBでもグレイでもミスチルでも、連中がもっとも好きだったもののひとつやふたつ、奪ってやったっていい。レイプ犯には強制パイプカットとか。
醜い事件を起こす少年犯罪者(と予備軍)は、アレックスの絶望を味わってみればいい。
ともかく映画としてはファッション・美術ともにホラーショーなんで、「ヤーブル引き締めてビディーせよ!マルチック&デボチカ!」ってことである。皮肉に満ちたラストへの展開も、絶望的というよりはスカッとする。
そして、これほど『雨に歌えば』を悪意に満ちたマナーで使ったアートはない。
仮にその曲がザ・フーの『マイ・ジェネレイション』だったらちょっとベタだったかな?と思うと、奇跡的なコラボ。
たとえそれが、キューブリックのロックに対する無関心の産物だったとしても。
最高。という言葉で語弊があるならば、「最悪」。「最狂」「最凶」でもいい。
『悪魔のいけにえ 公開40周年記念版』を鑑賞(@ヒューマックス・シネマ)。
渋谷なんて大嫌いなんだが、こればっかりはしょうがない。あの「テキサス電動のこぎり大虐殺」が劇場で観られるのである。
スプラッタの元祖だけど派手な流血シーンはない。狂ったヒッチハイカーが自分の手のひらをナイフで切るシーンと、捕まった女子が指先を切られてミイラ化したジサマにちゅうちゅう吸われるという厭なセクハラに、ちょっとだけ赤いものが流れる。
ブチ切れまくっている本作だが、実はとても洗練されている。
今まではチェーンソーの爆音と、「いけにえ女子」の叫びばかり印象に残っていたが、大音量で味わうと「虫の羽音」「風の音」「車のエンジン音」「機械の振動音」など全てが重要な音響となっており、サントラとして機能している。やはり劇場で観るべき作品なんである。
殺される若者たちの人物造形なんて描かれない。どうでもいい奴らはどうでもいい会話をダラダラ続けるのみ。ただ、車椅子のデブのみ特別にひん曲がったキャラが与えられており、癇癪を起こしてブーブー唾を飛ばしまくるところはイイ。
人面マスクを被った大男(レザーフェイス)にチェーンソーをぶん回されながら、夜の森を絶叫しつつ逃げるマリリン・バーンズと云う女優。爆音で浴びるべき一世一代の名シーン。
ただ、どことなくグロテスクなユーモアも漂っており、それが実はこの作品のキモ。
この手のジャンルの売りである、殺人シーンの尺がとても短い。カメラも行為そのものは映さない。
じゃあどこに重きを置いているかというとそれは、レザーフェイス一家の家族関係にある。
先のヒッチハイカーはレザーフェイスの兄。叩きおろされた車のボディに自分の血で「怪傑ゾロ」のマークを残すという、小粋なセンスを見せる。
レザーフェイスはバカだけど、ちからじまんのおとうと。
父親もいる。時折まっとうなことも言うが本質的にキチガイ。ラジオからは墓荒らしのニュースが流され、その実行犯は息子たち、父親は「コック」であることが会話で示唆される。
(しかし、マリリンさんを捕獲するときに使う武器がなんと「ほうき」なんである!お前もそんなもんで捕まるなよって気もするが、監督のトビー・フーパーってほんと天才だと思った)。
コラーゲン不足なのか、ほぼミイラとして生きているカサカサじいさん。
かつては豚殺しの名人であり、せっかくだからじいちゃんにもあの感じを味わってもらおうと(家族思いであります)、ほぼ腕力のない手にハンマーを握らせ、マリリンの頭上に何度も振り下ろさせる。
それを大はしゃぎで見守る息子と孫。このブラックかつバカなシーンがクライマックスってのが、凡百のホラーとの大いなる相違点。
ファミリーで生業を立て、コミュニケーションもちゃんとあるという、核家族とはほど遠い「ほのぼの一族」である(犠牲者じゃなければ)。
死体を盗んではDIY精神で家具などを作っていた職人さん、「エド・ゲイン」の実話がヒントになっているのだが、電球に人面カバーが施されていたりと、にくい演出もあり。
朝焼けの中、チェーンソーを振り回すレザーフェイス。これほどカッコいい「ダンス」はみたことがない。
そいつをブツ切りにして終わらせるラスト。こういうのは長すぎちゃいけない。とにかくセンスがいい。
40周年おめでとうございます。
先日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて『東海道四谷怪談』(64年)を鑑賞してきたのですが、スクリーンだとさらに禍々しさが増して大変よろしい。
「モラトリアム侍のイエモンが悪党の町人にそそのかされてピュアラブな嫁(お岩さん)とエロ按摩をいっしょくたにぶっ殺し、どんどろとギミックたっぷりに復讐される物語」と書くと身も蓋もないが、個人的には『ゾンビ』『悪魔のいけにえ』と並ぶ、ホラームービーのベスト3であります。
実は九月中、ここに結構通っていた。ブログがめんどくさくなっていたので一切書いていなかったのだけど、一応備忘録でもやっておくかと、今頃のそのそと記す。
ちなみにこの劇場は「映画をたしなむ」という気持ちで向かうのがベストだと思う。
『ギャング対ギャング』(62年)は、石井輝男監督のギャング映画。組織に裏切られたヤクザ(鶴田浩二)が、「プランナー」なるおっさんをブレーンとしたチームと組み、組織から麻薬を強奪しようとする。
和製ギャング映画が好きなんである。「ヤッコさん、おいでなすったぜ」「さっさとアバヨをしちまいな」みたいな、キザったらしいセリフがいい。
三田佳子がかわいいなあ。あ、タイトルのフォントの筆圧が強すぎて「ギヤング対ギヤング」になってた。
『七つの弾丸』(59年)は、銀行強盗(三國連太郎)が実行に至るまでの経緯と、彼の被害者となる人々の日常を交互に描いた社会派。このような構成を遊んで編集すると「パルプ・フィクション」になる。
『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(67年)は、宍戸錠主演の殺し屋映画。ひとを殺す職業はあまりおしゃべりをしません、という基本路線に忠実。手足の長いジョーさんは黒スーツが決まる。本人もかなりお気に入りの作品とのこと。
『悪女』(64年)は、小川真由美&緑魔子という「二大悪女女優」がバーサス!いろいろとグチャグチャしている富豪一家に派遣されたメイド(小川真由美)。底意地が悪くて終始プリプリしていてレズビアンのお嬢様(緑魔子。しかし、いいところがないなあ。でも、いちいちキャンキャン吠える感じがビッチかわいい)にイビられながらも持ち前の純朴さでがんばるが、長男の梅宮辰夫に中出しされて妊娠。
産ませて下さいと一家に申し出てさらにグチャグチャな展開に。アナーキーな作品なんだから、普通すぎるラストにはちょっとがっかり。
『探偵物語・特別編』はテレビシリーズを二本セレクトして劇場にかける、という企画。工藤ちゃんがでかい!ってのがうれしい。
一番の問題作は『散歩する霊柩車』(64年)。タイトルが秀逸。これは劇場も大入り満員。
監督は侵略ホラーの古典として、我々にショックと笑いをもたらしてくれる『吸血鬼ゴケミドロ』(68年)の佐藤肇。
主演は黄門様として有名な西村晃。この人、もう少し若い頃はかなりアクの強い個性派だった。
ダイナマイトバディで浮気な嫁(春川ますみ)に翻弄されるタクシー運転手(西村)が、二人で共謀してある悪巧みを仕掛ける。
嫁が浮気の罪悪感に耐え切れずに自殺。霊柩車をチャーターして「遺書にあなたの名前があった」と、関係があったおっさんらを訪問してマイルドに恐喝。
(霊柩車のドライバーは渥美清。ちょっといい感じに不気味な役で、後半、彼の存在に重要性が帯びてくる)
ところが嫁は生きていた。棺桶には入れられていたが、死体のふりをしていただけ。こりゃあいけるぜとウヒヒヒなおもろい夫婦なのだが、次々にありえない事故や展開が迫る。
この「ギクシャクしたグルーヴ」がなにかに似ていると思ったら、楳図かずおの漫画そのものなのであった。
西村晃をはじめ、春川ますみや金子信雄なんかの風貌がもろに楳図キャラ。
もう「ウワッ!!」「ギャッ!!」「お、おまえはっ!!」といったウメズSEが、ばっちりハマる感じ。
ラストもなかなかトンデモ。車で去っていく男女に楳図っぽい演出をするならばやっぱり、
「わははは」「ホホホホホ」だよなあ、と思いました。
肺炎になりまして、たまに咳き込むくらいで日常生活に支障はないので、三連休は通常通り営業します。
弱ってるので、あまりアルコールも分解できない。静かにレンタルで映画などを観ている静かな日々なのですが、やっぱ犯罪映画っていいよね!犯罪最高!!(と、無理矢理テンションを上げていくです)
『狼たちの午後』(監督シドニー・ルメット/75年)を久々に鑑賞。やるせねぇな、やっぱり。
アメリカのナショナリズムに対し、「それ、ちげーよ・・・」と砂をひっかけたのが一連のアメリカン・ニューシネマ。
銀行強盗の物語である。ソニー(アル・パチーノ)と「サル」と呼ばれるその相棒。二人ともベトナム戦争の帰還兵。
ツメが甘くて根っからの悪人ではないソニーの計画は、銀行を襲撃した時点で早くも頓挫。
人質にされた銀行員たちも、ソニーの「どうやら悪い人でもないらしい」人間性を見抜いて、なんとなく友好ムード。ただしサルは、いつライフルをぶっ放してもおかしくないサイコパス。
ソニーが包囲された警察たちと交渉したりやり込めたりしているうちに、野次馬たちが集まり、ちょっとしたヒーローになる。
彼は妻帯者だが、同性の恋人とも極秘に結婚しており、その恋人に性転換手術を受けさせる費用を作るために、銀行強盗を決起したのである(実際に起こった事件を元にしている)。
それが報道されたもんだから、今度は同性愛者たちが現場に押しかけプラカード応援。
サルは面白くない。「オレはゲイじゃない。訂正させろ」
動機もパッとしなくて、最初からなんとなく成り立ってない事件の話なのだが、「大列車強盗!」みたいなビッとした犯罪なんてもう有り得ないんだよ、といった時代の気分か。
原題は「Dog Day Afternoon」。夏盛りという意味らしいけど、「犬っころの午後」と直訳したほうがしっくりと来る。狼じゃなくて、負け犬たち。
『新幹線大爆破』(監督/佐藤純弥・75年)はいろんな意味で大爆発しています。
自分の工場を潰してしまった経営者(高倉健)と、過激派くずれ(山本圭)と、沖縄から上京した青年の3人がチームとなり、80キロに速度を落とすと起動する爆弾を新幹線に仕掛ける。
新幹線の指令室長が宇津井健、車掌に千葉真一。熱いのである。
(関根勤がたまにモノマネしている「新幹線大爆破の千葉真一」はこれが元ネタ)
犯人の一人が山中において、まさに警察から身代金を奪ったところ、ちょうど「大学の柔道部」たちがマラソンしているところにぶつかる。警察が「そいつは爆弾犯人だ!捕まえてくれ!」と無茶を言う。
しかし昭和の映画ってのは、犯人と警察が金のやりとりをする山道が必ず、「大学の柔道部か空手部のマラソンコース」なんである。いいんだけど。
そしてこれはちょっとネタバレなのだが、犯人の健さんは身代金を手に入れ、爆弾の取り外し方の説明書を指定した喫茶店に置く。
が、警察が来る前にその店はなんと火事で全焼!!
予告編にも「恐怖の二次災害!」と出てるが、そりゃみんな困っちゃうよねえ。恐怖の膝カックンな展開。
犯行グループたちのやるせなさ。中間管理職としての宇津井健のやるせなさ。現場でひたすら発汗するサニー千葉には「あんたがいちばん超特急」と言いたくなる。
タイトルのおかげで国鉄から協力を拒否され、セットのみで新幹線のシーンを作り上げたという。フランスなど、海外での評価が高い作品。
そして、映画の本編が終わったあとになんのデリカシーもなくでかでかと映し出される
「特別出演 丹波哲郎」
の文字。心の準備をして鑑賞されたい。