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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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死体とゲロと友情



妙に好感度の高い『スタンド・バイ・ミー』(86)だが、自分なんぞはテレビで観たときの強烈なゲロシーン(後述)しか覚えてなかったりする。
久々に観直したのですが、いきなり十二才のお子様が隠れ家でタバコをふかしている始まりかたに驚く。こんなの今じゃ絶対撮れない絵だ。
四人の少年たちが列車事故にあった死体を捜しに、二日間の旅に出るというスト-リー。
主人公のゴードンは文才があるが、それを認めているのはクリス(リバー・フェニックス)だけで、兄が死んで以来、家族から冷たくあしらわれている。お兄さんが優秀すぎたのである。
クリスはDV家庭育ちで町の人間からは白眼視されているし、テディの父親はかつて軍隊の英雄だったが、今は精神病院。彼自身も破滅的な傾向が見られる。バーンは臆病で太っちょ。
といった、何となく冴えない四人組だけど、死体を捜し出せば地元のマスコミから取材が来てヒーローになれる、てなわけだ。
彼らの兄たちがまたクズの不良で、車を飛ばしながら脇道のポストをバットでぶっとばすという実にけしからんゲームに興じていたりするが、同じ動機で死体捜しに乗り出す。連中も田舎の閉塞感が退屈で、面白くなくてしょうがないのだ。

少年たちが過ごす夜に、ゴードンは創作話をねだられる。そこで語られるのがこんな話。
町中からバカにされているデブがいる。彼はいつか町の奴らに復讐するチャンスを狙っている。
ある日行われた、名士たちや有名DJも参加するピザの大食い大会。これにデブも参加するが優勝が目的ではない。
事前に油と生卵を飲み込んでから、大食いに参加。彼が出ただけで司会および観客たちからは嘲笑や罵倒。全員人格が下品。さらにこの大会が「手を使わないで食べる」という犬食いルールで、ほんとアメリカのバカっぽさを象徴したような趣向。
散々食って気持ち悪くなると、デブが豪快にゲロ噴射!彼はこれがやりたかったのである(80年代の非常階段や江戸アケミみたいですね)。それをきっかけに全員が気持ち悪くなって観客巻き込んでのゲロ地獄。その地獄絵図を満足気に眺めるデブ、って書いてるだけでこの話サイコー!
キャンプ夜話なので、わざわざこんなエピソードをきっちり映像化しなくてもよさげなもんだけど、監督ロブ・ライナーの「いい話だけじゃ終わらせんぞ」という悪意が見えたりする。
さらに近道として沼を渡れば、ヒルにびっしり吸い付かれる。これは私も引きました。
死体とゲロとヒル。子供たちのダークな生い立ち。これらをうまいことベールに包んで「少年の日の瑞々しい感動の冒険談」と、当時の宣伝部はうまいことやったのだなあと思う。
「この映画が一番好き」とおっしゃる方々に対し、「ほんなら、あのゲロシーンはどうやって落とし前つけとんのじゃ。なかったことにしとるんかいのう?」と、てきとー広島弁でイチャモンつけてやろうと思って鑑賞していたんですけど、ベン・E・キングの主題歌が流れるころには泣いていました。
そんなわけで仮想敵は『ダウン・バイ・ロー』が一番好きって言う奴になりました。

無理矢理だが少年映画として並べると『蝿の王』(90)があり、飛行機事故で無人島に漂着した24人の少年たちの物語。ぶっちゃけリアル漂流教室。
最初は規律を守っていたものの、やがて穏健派(高松くん)と過激派(大友くん)にグループが分裂。
デビッド・ボウイ似のきれいな少年が顔にペイントを施し、徐々に獣性が目覚めていく過程は、かなり、やな感じ。
漂流教室ならば「今までのぼくを許してくれっ!!悪かった!!」「今度こそ力を合わせていこう!!」「「大友くんっ!!ありがとうっ!!」ウワーッ(まだ続けますか?)と、感動的な展開になるんだが、こちらはラストまで絶望的。名作だけど、やな感じである。
このDVDは、水商売を営んでいる知り合いの銀実ママさんから貸して頂いたのだが、本人も「怖いから二回しか観てない」ということだし、通帳入れとして持ち歩いているのでパッケージがボロボロ。
と、無理矢理ユーモラスでおもしろ風味に〆てみる。だってこわいよこれ。

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ハリウッドゴジラは物分りがよかった



2014年のハリウッド版『GODZILLA』。初見はゴジラのフォルムが土産物の「シャケをくわえた木彫りのクマ」みたいであまり乗らなかったのだが、CGで動きをみせるとなかなかの迫力。でかっ!って感じ。海上より背びれから登場する場面など、今までになかったセンス。日本のゴジラは徒歩ですから。
放射線を食う怪獣「ムートー」のオスとメスが暴れているところにゴジラが「調和を取り戻すために」復活し、ムートー夫婦と戦う。
そこばっかりやっていてくれればいいのに、というのが正直な感想で、科学者たちによるディスカッションと、ムートー出現によって妻を亡くした科学者の息子(爆弾処理班)のホームドラマが長すぎる。理系映画と家族愛ものは最も苦手だ。
このゴジラは「怪獣王」であっても「破壊神」ではない。ムートーやっつけたら普通に帰るし。最後の咆哮は「おつかれーッ」としか聞こえないす。
自分は平成ゴジラシリーズもほとんど観ておらず、なぜ興味がないのか、ハリウッド版でようやく理解した。アメリカにゴジラが現われても正直ピンと来ないってのは、彼がやはり「昭和のアイコン」であるからだ。

先日、神保町シアターのゴジラ特集(祝!ようやくヤバそうなゴジラが日本で復活!)で『キングコング対ゴジラ』(62)を鑑賞。本多猪四郎×円谷英二の正統派。二作目『ゴジラの逆襲』では敵としてアンギラスを登場させたのはいいが、四つ足に設定しちゃったもんで、ずっとゴジラに対して着ぐるみアンギラスが土下座状態でギャーッとか吠えてるしょっぱい出来。
三作目はハリウッドから拝借したキングコングで、こちらはゴジラと大バトル。作品も大ヒットした。
思うにゴジラが悪役だったのは次回作の『モスラ対ゴジラ』までで、キングギドラ登場とともに微妙に人間の見方になり、ストーリーも子供向けにスライド。なんだかんだでキングギドラは、子供が見て「かっけぇ!」と思うフォルムなんである。
三作目ともなるとゴジラそのものが既成事実とされており、ディザスター(災害)映画の趣きもある。
「ゴジラ出ました!」「ゴジラ松島へ上陸です!」「ゴジラが来るので避難するざます」
コングとゴジラが戦っているところを至近距離で眺めている多数の野次馬がいたり、コングがいる真横を電車が走っていたりする(で、捕まえられたりする)んだが、こうしたユルさも昭和である。
初代ゴジラの悪夢のようなシリアスさは払拭されたが、巨体で街をぶっ壊すカタルシスはやはり、なんだかんだ言っても破壊神なのだ。

視聴率低下に悩むテレビ局の部長が話題づくりのため、南の島からキングコングを日本に輸送するってのが発端(無茶苦茶だ)。高島忠夫らが会社命令でその島に向かう。
最高なのが原住民たち(不思議なことに日本人にしか見えない)。伊福部昭のカッコいい音楽に合わせて、昭和キャバレーの踊り子のような、イカしたバーレスク・ダンスを踊る。
このような昭和元禄の風俗を楽しむのがゴジラ映画なんです。今さら「あのシーンは吹いた(笑)」とか言ってる感性のほうがよほど古臭い。大タコとの合成シーンもよかったなあ。
いくらお子様向けになっても、当時の風景を切り取っている限り、それがゴジラ映画なのだと思う(のは自分だけか?)。
特に時代性を強烈にアピールしているのは『ゴジラ対ヘドラ』で、主題歌はファズが効いたガレージ・サイケだし、それにあわせてボディペイントを模した姉ちゃんが踊る!
ヘドラは公害の産物であり(これは今も通じるテーマだと思う)、オタマジャクシみたいなものからどんどん成長するなんてのも、現代ホラー的。
若者たちが富士山のゴーゴー大会(!)で踊っているところをヘドラが襲撃したり、劇中でイラストを挿入してみたりと、70年代アングラ文化溢れる一本。個人的は「渋谷系ゴジラ」と呼んでいる。ハレンチ・サイケという風俗を、怪獣映画なりにアレンジして見せた「怪作」である。
リメイクするならヘドラじゃないか。いつやるの?今でしょ!
ヘドラのデザインはさらにグロくてもいいと思うし、原発問題と絡めることも可能である。液体をぶっかけて人間をドロドロに溶かすなんて描写も出来そうだし、なんならR指定だ!
ゴジラ抜きでもかまわない。リメンバー・ヘドラ!






A級とかB級とか、もうどうでもいい



朝の電車の中の学生たちがうるさい。夜通し遊んでもまだ元気がありあまっているのだろう。結構なことである。青春か。まあ、青春時代を楽しく過ごしてるって時点で自分にとっては「異次元の生きもの」なんだが(彼らはたのしいことがいっぱいあるので何かをマニアックに追求するなんてことはないんだろうな。「孤独さ」と「捜し求める物に対する熱量」は正比例するのである)。ともかく、他の乗客(おとな)は祭日でも働きに向かっているわけで。彼らと時間軸が違っているのは仕方がないことではあるのだが。だが。しかし。ああ。死ねばいいのに。

といったストレスを爽やかに解消してくれるのがホラー映画の良さ。
『道化死てるぜ!』というイカす邦題がつけられた2012年の作品がある。
あまり仕事にやる気のないピエロがガキんちょの誕生日パーティーび呼ばれて、あまりうまくない芸を披露するのだが、生意気なのばかりそろっているので散々コケにされ、しまいには一人の行き過ぎた悪戯により滑って転んで頭に包丁が刺さって死亡。六年後、なかなかけしからんティーンに成長した彼らがパーティーを企画するのだが、そこにあのピエロが蘇り、連中をスラッシュしていくというストーリー。
ピエロがカッコいい。下から見上げる目つきや体型など、泉谷しげるにちょっと似ている。
泉谷ピエロがガキどもを血祭りにあげる手口が面白い。しかもかつて自分をバカにした態度を、そのまま相手にお返しして殺す。
後頭部から傘が突き刺さって先端には目玉が串刺しになり、そのままスッ転ぶと開閉部がバッと開いて血の雨が降ったり、「でかい容器のアイスクリームから掬う特性スプーン」で脳みそをよそって盛ってみたりとか、完全にふざけてる。で、ピエロなもんで走り方も「欽ちゃん走り」だったり、三輪車で追いかけたりと、細かい笑いも忘れない。ラストガールのお約束も守り、ちゃんとコメディ仕立てなので大丈夫です。四人しか殺されませんし。
殺人というのはクリエィティブな行為なので(もちろん創造においての話。言わせんなー!)、作り手の腕試しの場でもある。それにつれて、ゴアやバイオレンスの描写が激しくなって行くのは非常に好ましい。
すっかりこのピエロ(スティッチーズ)が気に入ってしまったので、これ一本で終わってしまっているのは惜しい。ジェイソンより全然好きなのに。
えー、シリーズ化しましょうよ。なんなら日本の企画で、泉谷しげる主演で。

『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(タランティーノ脚本・ロバート・ロドリゲス監督/96)を久々に観た。
この作品は前半と後半が全然違うので、昔は前半のギャング兄弟のエピソードが良すぎて、後半の「牧師一家を人質に取りメキシコに向かったが、仲間の指定した待ち合わせのバーがバンパイヤの巣窟だった」って展開があまり好きじゃなかった。
ジョージ・クルーニーとタランティーノが兄弟ってまず「血統」が違うだろと思いますが、タラのサイコ弟っぷりがイカしてる。このコンビを最後まで組んでほしかったのだ。
が、今観ればスピード感と「やりたい放題やっちゃうぜ」な、グルーブが気持ちがいい。特殊メイク師のトム・サヴィーニも出演しており(役名が「セックス・マシーン」!)、股間仕込み銃を発射したりの悪ノリ(ロバ監督は「トリガーなしでも連射できる銃」ってのが好きだよなあ)。ちょっと若いダニー・「マチェーテ」・トレホもバーテン役で出ている。
とにかく、エロとグロとバイオレンスと爆発という映画に必要な要素が全部ある。
『道化死てるぜ』もそうだが、真面目に「B級感覚」に取り組んだポップな作品だと思う。

とか書いておいてなんだが、A級とかB級って一体何だ?
最近、自分でも散々使っていた言葉に対して反省することしきりなのだけど、結局、好みの問題の話なんじゃないのか。A定食がエビチリで、B定食がきくらげ卵炒めで、さあどっち食うかってだけの話。
「凡百の~」という言葉もそのジャンルを否定しかねない言い回しで、そもそも「凡百」と言えるくらいの作品数あってこそのジャンルなのだ。使用していたゆえに反省することがとても多い日々です(高橋ヨシキ先生の影響大)。
「A級大作」なんてフレーズもなんでお前が決めんの?って感じの白ける言葉だし、「よく出来たB級作品」とか言われるとバカにしてんのか?と思う。
CGの爆発シーンと合成するために「どひゃー」とかやってる奴より、血糊を頭から被ってドロドロになってる奴のほうが偉いに決まってんだろ!











サミュエルは神



サミュエル・L・ジャクソンという俳優を知ったのは『パルプ・フィクション』で、今考えてもアレはとんでもなく変てこなギャング映画であった。どうでもいい会話やエピソードがだらだら続き、そもそも主役のジョン・トラボルタが途中で殺されるのだが、編集もわざとメチャクチャにつないでいるので、ラストで普通にしれっと登場する。これを劇場で観たとき、後ろのカップルの「なんであの人殺されたのに生きてるの?」との会話を聞いてちょっとびっくりしたがまあそんなもんなのかなあ、とか思いました。
さらに「ラジカセ番長」とも言われる、必ずしもスタンダードではない曲をぶち込んでいく手腕も鮮やかで(タイアップしないからコマーシャル臭くならない)、サーフ・ミュージックの実はパンキッシュな魅力を世界中に認識させた功績は大きい。ディック・デイルの「ミザルー」が襲いかかって来るような爆音で流れるオープニングのカッコよさは忘れ難い(これ以降、バラエティなどでイージーに使われるようになっちゃったが)。
会話の内容は本当に下らないので「なんだこいつスカしやがって」という声も当時は少なくなく、中原昌也氏がかなり激しくディスっていた記憶がある。
とはいえ、『キル・ビル』あたりから監督がいよいよ本格的に好き放題をやり始め、「まあ、この人はこういう人だから」と、世間の方が認知してくれて、今に至ると。
サミュエルの役は今から殺す相手の前でハンバーガーの講釈をたれるギャングで、とか書いてるうちにまた観たくなってきた。

現在売れっ子俳優のサミュ兄だが、本当に好きなのはアチャラカ方面のようで、製作総指揮で作り上げた作品が『ケミカル51』(2001)。
ドレッドにスカート姿(意味不明)の天才調合師がサミュの役で、彼が発明した最強のドラッグが
「POS51」。
これを巡り、サミュに裏切られたアメリカの密売組織のボス、そのボスが雇った女殺し屋、サミュと行動を共にするチンピラ売人(殺し屋の元彼。基本的にサッカーの事しか考えてない)、POS51の契約を交わしたイギリスの密売組織のボス、悪徳刑事、スキンズ(バカというよりほぼサル扱い)といった基本的に非合法な人間たちが大立ち回りをする、ドラッグにまつわるドタバタ・コメディ。アクション映画ではないような気がする。タラ映画のような凝った構造はないけど面白いから観ちゃうんだな。
ラストの大爆発(建物ではない)には大いに笑って頂きましょう。

サミュ兄の「タイトルが気に入った」という理由で出演した作品が『スネーク・フライト(SNAKES ON A PLANE・2006)』である。
大物マフィアの殺人現場をたまたま目撃してしまったハワイの青年をロスの裁判所で証言させるため、飛行機の深夜便で同行する刑事がサミュの役どころ。
が、それを知ったマフィアは彼を亡き者にしようと、旅客機の中に大量の毒ヘビをばらまく。このプロットにワクワクしない奴とは口もききたくない。
バカバカしいと言われてもしゃーないのだが、だったら何があっても主人公が死なない「ダイなんとか」というシリーズはバカバカしくないのか?と思う。みたことないけど。
恒例の「便所ファック」カップルは最初に殺され、最初から嫌味しか言わない嫌ったらしいおっさんはアナコンダに絞め殺されて丸呑みされ(ここは笑うところ)、その他罪のない人もばんばん死ぬのだが(さすが『デッドコースター』の監督)、がんばる人はがんばる。
そのうち空気も足りなくなり、サミュ兄もがんばるのだが、かなりヤケクソ気味ながんばりであり、デブが、とオチまで書きたくなるが(どうせ検索すりゃわかるんだけど)ここではやめる。
とりあえず108円握りしめてTSUTAYAに走れ!とだけは申し上げたい。
乗客が首にかけているレイにフェロモンを振りかけているのでヘビが襲ってくるとか、血清を間違えると命がないとか、海の上を飛んでいるから着陸できないとか、ワガママだったラッパーは反省するとか、デブがゲームばっかりやってるとか、意外と細かい仕事をしているので大雑把な設定が気にならない。
ていうか、気になる奴はもう知らねえ。
ヘビ嫌いの人以外におすすめのわくわくどうぶつパニックアクション。
どうでもいいことだが、エンドロールに流れるオリジナル主題歌(?)のサビ「キスミ~グッバ~~イ♪」が、頭から離れない。なんだアレ?


和製レザボア・ドッグス



『狼と豚と人間』(64/監督・深作欣二)を鑑賞@ラピュタ阿佐ヶ谷。
カッコいいタイトルである。しかも内容を的確に表している。
主人公は次男の高倉健か。彼は相棒(江原真二郎。トッポい存在感は抜群で、横山剣氏にそっくり)と組み、荒っぽく稼ぐアウトロー(狼)。長男は三國連太郎で、暴力団「岩崎組」幹部。ただし金と地位は持っているから「人間的」と言えるかも知れない。彼ら二人はドヤ街の実家と母親を捨てて飛び出したので、三男の北大路欣也が年老いた親と稼業である豚の世話を受け継ぐ形になる。例えはひどいが「豚」だろう。
モノクロ画面にドヤ街や豚小屋の悪臭が充満している。でも音楽はシネ・ジャズ。

母親が死に、骨壷を持って三國の組に現われたキタキン(めんどいのでこの表記で)だが、そんなものもって来るなと邪険にされ、どうするかというとそれをそのままドブ川に流しちゃう。
見つめるドヤの仲間たちと「やってらんねえよ~♪」みたいな歌をいきなり歌い出して、ミュージカルになるシーンがちょっと笑ってしまうが、パワフルだ。
出所した高倉が岩崎組の金と麻薬を強奪しようと相棒と画策し、キタキンとその仲間たち(チャンネー含む)を計画に加える。報酬は一人頭五万。これは当時の金銭感覚でどれくらいなのか?
とにもかくにも強奪に成功し、ドヤの実家にて全員が落ち合いそこで分け前を分配すればめでたしめでたしなのだが、キタキンが盗んだバックの中身を見てしまうと、そこには現金二千万と一体いくらになるかわからない量の麻薬がギッシリ。
彼の心中としては「これでオレらの取り分は五万なの?」ってわけで、ブツをどこかに隠して消えてしまう。

さて一味が実家で顔を会わせるとブツもなく弟もいない。さらに健さんの彼女(中原早苗。昭和的には「情婦」というのだろうか)もやって来て「あたしもここにいるわ」と居座る。「あら、ナントカすればいいじゃないの」とアドバイスする、「ひとこと番長」みたいな役回り。
やがて健さんたちは戻ってきたキタキンと顔をあわせ、隠し場所を吐かせようと鉄拳制裁を加えるのだが埒があかない。ならば精神的に追い詰めるしかないと、チャンネーをレイプ。さらには仲間の指を万力で締め上げて潰す。
DVDのジャケットがいまいち謎だったのだが、このシーンだったんですね。
こ・れ・を侠客ヒーローの高倉健が行っている。かなり目が点になった。
やがて三國が真相を知ることになり、三兄弟をめぐる物語は血みどろの展開へ。

サングラス&スーツ姿の高倉健と江原。現金強奪作戦。裏切って足を引っ張り合う計画者。密室で血と汗にまみれ疑心暗記する男たち。残虐なリンチ(さすがに踊ってないが)。ラストも含めこれはタランティーノのデビュー作『レザボア・ドッグス』の原型ではないか。
『仁義なき戦い』が73年だから、それより9年も前の作品。
ラピュタという劇場は観客の年齢層がかなり高く、この日も白髪頭の旦那衆と観ていたのだけど、彼らの世代ですでに、こんなにスゲぇ作品が作られていたのだ!若いもんはもっと精進しなければいかんと思う。
伸し上がっても人間的な貧しさは隠し切れないという意図の演出なのか、最高に汚ねえ痰を吐くシーンの三國連太郎はさすがの貫禄。

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性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
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