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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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愚直にして大傑作・実写版おろち



「漂流教室」も「洗礼」も最高だが、人間の恐ろしさと哀しさ、諸々の情念ドラマが大爆発している点において、やはり「おろち」なのであった。
初めて読んだのが小学校高学年というのも大きいが、「おろち」は「ブラックジャック」と並んで当時の自分の教科書的な作品であった。というより、教科書が教えていることの百倍凄かった。てなわけで「トラウマ」という言葉は使いたくないわけです。
楳図かずお作品というのがあまりにもオンリーワンで、トキワ荘の流れとも違うし、初期の少女漫画テイストは完全にどっかいっちゃったし、劇画でもないし(アクションがまったく描けない)、「ガロ」みたいにアンダーグラウンドなわけでもない(超メジャー)。
描き込めば書き込むほど現実離れしていく画風や独特な記号(子供たちのソックスがみんな「プックリ」していたりとか)、おなじみ「ひいー!!」「ああっ!!」「ギャッ!!」「は は は は は は」「ワハハハハ」「ドドドド」「そら、見てごらん!!」といった独自の言語感覚。この大時代的なセンスで貫き、時代にまったく迎合しなかったってのも素晴らしい。
というわけで楳図作品は実写化が大変難しい。どうやったらこの「ズレ」をリアルの風景や人物にフィットさせるのか、ということが難題なのである(ほとんど失敗してる)。
ならば「セットやキャラを原作の方に寄せちゃえばよくね?」と、愚直だが大正解な試みが2008年の実写版「おろち」なのであった。

原作の中でも最もおそろしいエピソードが「姉妹」と「血」で、これに老いてゆく大女優の美への執着を描いた「洗礼」もミックスさせ、女どうしのドロドロした情念を観客に向かってぶちまける。
楳図作品の根幹を成すものは非常にデリケートというか、ツッコミひとつで木っ端微塵になってしまうような脆さを含んでいるのだけれど、この映画はそれを一切せず、とにかく原作のテイストに近づけていく。
(オープニングで「私はおろち」っつっても「あんた誰よ?」って話で、楳図フリークのための作品には違いないんだが)
ゴシックな洋館のセットを作り、ほとんどの物語がそこで行われるのも正解。
木村佳乃(姉)・中越典子(妹)の「ウメズライン」を持った美人女優に、主治医の嶋田久作、チンピラ映画青年の山本太郎などの、いかにもウメズ的なキャラがウメズ的小道具の中でウメズ的な会話を話す。
ただ、おろち役の谷村美月よりは、もうちょっとバタ臭いルックスの女子(しょこたんとか)の方がよかったんじゃないかと思う。
とはいえ、狂言回しに徹しつつ、瞬きもせずに涙を流し、人差し指を立てれば枯葉が舞い、原作オリジナル演歌「新宿がらす」を本当に歌うとなれば「これだよこれ!」とファンは感無量なはず。

「門前家」に生まれた女たちは29歳をきっかけにポツポツと腫瘍が出来始め、それが全身に移り二目と見られないような姿になる(原作では18歳だが、これじゃ早すぎるとの改定であろう。ちなみに映画では一瞬だけ、その悲しい姿が映る)。
女優だった母親もそうだったし(木村佳乃一人二役)、姉妹も常にそのことに怯えている。
おろちはメイドとしてこの洋館に住み込みになるのだが、その記憶を植えつける手段として、姉の額に手を当て「額にクモがはっていたのです、そら」。
これを本当にやった。降参です。
この運命を変えるには血液型が同じで身寄りのない女の子(谷村美月の二役)を引き取り、全身の血を入れ替えればよいのではないかしら?とのぶっとんだ発想をかまし(この辺は「洗礼」テイスト)、姉のために妹がそれを実行する。しかも「自分ち」で血液入れ替え決行するも、違う型の為に失敗。
なぜ確認しない?
しかし、前述の「脆さ」とはこういう部分であり、そこで笑っちゃう人はもう観なくてよろしい。
原作を知っている者は熟知している骨肉の争いが描かれ、正気を失った姉に妹が告白する真実、それも我々は知っているのだが、こうなるともう冷静ではいられない。要するに二回観て二回とも泣いちゃったんである。姉妹が、かわいそうすぎる。
極端な形だが、これはもちろん「女性が老いてゆく恐怖」のメタファーであり、それを描き切った男性作家は楳図先生だけなんじゃないかと思う。

「おろち」は他にもサスペンスな「秀才」「カギ」「眼」「ステージ」、スプラッタ・ホラーの「ふるさと」、戦争中に飢えを凌ぐため人間の肉を食うのは是か非か?という究極の問いかけ「戦闘」など名作がギッシリつまっている。
是非続編として制作してくれないかなあと思っているのが恐怖の真骨頂・「骨」。
おろちの「よけいなおせっかい」で、死んだ男が墓から蘇り、徐々に身体を腐らせながら妻に復讐していくという物語。
しかし、墓石に堂々と刻まれているのが「三郎之墓」。ペットじゃないんだからってことで、ここはちょっと笑っていいと思う。


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ショック映画十本ノック



絶望の野蛮な手触りだけが伝え得る真実というものだってある。
では我々は絶望の中で悲嘆にくれて過ごすしかないのだろうか?
まったく逆だ。
絶望と恐怖という新しい友人を得たと思えばよいのである。
彼らと楽しくやっていくコツだってある。笑うことだ。
(高橋ヨシキ)

ということで、レンタルショップにはまだ見ぬ友人や、久しぶりに会うことになる知人たちがゴロゴロいるというわけ。
暗黒映画に浸ってヘラヘラ笑う日々、開始。

【クリープショー3】(2006)
最初のクリープショーと間違えて借りた。オムニバスなので肩の力を抜いて観られる。
ホラーというよりはブラックなコメディ。しかし「1」のゴキブリゾロゾロのような強烈なエピソードは無し。

【ホステル3】(2011)
イーライ・ロスが監督した前二作と比べると、パワーとか捩れたユーモアのセンスがどうにも中途半端。
メーターなんか振り切ればいいのに。ホラーなんだから。

【遊星からの物体X ファーストコンタクト】(2011)
ジョン・カーペンターの有名な作品の前日談。
が、カーペンター版はSFXが凄まじすぎてストーリーをまったく覚えてなーい。
今回「ファーストコンタクト」をちゃんと鑑賞したのでザックリ言えば、誰が化け物なのか?という疑心暗鬼モノでした。
しかしこのCGによるクリーチャーも、観てると体が痒くなってくる。

【フレディvsジェイソン】(2003)
長年のファンならば夢のタイトルマッチだろう。本当にバトってるし、それ自体がギャグにもなってる。
しかし、ジェイソンはサクッと人を殺すし(「粉砕」という感じ)、フレディのキャラは妙にカラッとしている。
自分はもっと、陰湿なものが好みなのかも知れない。

【博士の異常な愛情】(1964)
これはホラーじゃなくて、気が狂った将校が原因で核戦争が起きるという話だが、当時の「冷戦時代」の感じが掴めてないと、もうひとつよくわからん。
映画としてそんなに面白いとも思われないし、これはきっとインテリゲンチャーの人が好む作品。
ただ、ストレンジラブ博士のキャラが立ち過ぎなので、リメイクを作ったら面白いのにと思う。
明らかに勘違いで付けられた邦題なのに妙に内容とマッチして、いまだに訂正されないという不思議。

【コレクター】(1965)
宝くじに当たった孤独な青年が地下室つきの家を購入し、前から想っていた娘さんを誘拐してそこに閉じ込める、監禁ものの古典。
「今にきっとボクのことが好きになるから!」というムチャぶり。
蝶の標本コレクションを見せてもドン引きされる。
サリンジャーやピカソは素晴らしいという彼女に向かい、「オレはあんたみたいにインテリじゃないからこんなの全然わかんねーッ!」とブチ切れ。
ヲタのメンタリティは普通の女子には理解できない、という悲しいお話。
佐野史郎の当たり役「冬彦さん」にそっくり。

【ケープ・フィアー】(1991)
邦題『恐怖の逆恨み』(いま付けた)。
レイプ犯(ロバート・デ・ニーロ)が、担当弁護士が自分にとって不利な仕事をしたことを知り、それを裏切りとして捉え、14年の刑期を終えて自由の身になったとき。
彼は、弁護士一家にじわじわと復讐を始める。
弁護士がなかなかロクデナシに描かれており、デ・ニーロは全身タトゥーだらけでマッチョで頭も切れるので、こちらに思い入れしてしまったりする。
デ・ニーロのキャリアとして語られることが少ないけど、極悪な名作。

【ファイナル・ディスティネーション】(2000)
これは拾い物。修学旅行でフランス行きの飛行機に乗る予定だった高校生の主人公が、フライト直前に機体が爆発することを予知し、降ろせーッと大騒ぎ。どさくさで六人が降ろされる。
で、直後、本当に大爆発。
助かった六人だが、本来は死ぬはずだった運命の歯車が回り始め、一人ずつ死んでいく。というか、運命に殺される。
主人公には「死の順番」も見えているので、そのルールにどうやって抗っていくのか?というお話。
殺人鬼もモンスターも出てこない。「死」だけがある。

【デッドコースター】(2003)
「ファイナル~」の続編。今度はハイウェイの大事故を予知した女子が主人公。
この玉突き事故のシーンがド派手で、いきなりテンション上がる。
トータル九人が生き残るが、やはり死の順番が回る。
前作にも増して、死に様がエグくてスピーディー。
「あっ、死んじゃった!!Ha!(笑)」と、モニターの前で笑う。
彼らのちょっとした行動が死に直結する。死神って、めちゃめちゃ手際がいい。
一作目とリンクしているので、続けて観ると楽しめます。

【サスペリア】(1977)
これはゴブリンの音楽と、原色を「これでもきゃ!」と使ったダリオ・アルジェントによる色彩感覚の勝利。
ストーリーは、ないっちゃ、ない。
いや、魔女がどうこうとか、あるけど、まあ、悪夢のMTVみたいなもんだから。
即物的な残酷描写で、日本でも大ヒットした。
「決して一人では見ないでください」のコピーが有名だが、当時かかったのは劇場だけだから「ひとり」ってことはないんだけどもね。


トータルで何人の死にざまを見たのだろう。
しかし映画の中ならば何人死んだってかまわない。それがスクリーンの花(華)になる。
それをみて手を叩いて笑うか、拳を握って怯えるか。
不幸せなら手を叩こう。

DEATH RACE 2000 in JAPAN



先日は銀座のヴァニラ画廊で行われているラブドール展示会・『人口乙女美術館』へ。
http://www.vanilla-gallery.com/
7体の演出されたラブドールと写真を展示。もんのすごく精巧で美しい。目はうるうるだし肌はつやつやだし唇もぴかぴか。でも、「生きてるみたい」とは思わない。生身の女子は目をはれぼったくさせていたり、唇がカサカサだったり、ムダ毛の処理を忘れていたりするからである。

池袋新文芸座で『バニシング IN TURBO』と『デス・レース2000年』の二本立てを鑑賞。どちらも低予算映画の代名詞のようなプロデューサー、ロージャー・コーマンによる76年の製作。
『バニシング』はロールスロイスをかっぱらって駆け落ちの爆走を続けるカップルに両親が賞金をかけ、それを手にしようとするドライバーたちが追跡を開始。カー・クラッシュに次ぐカー・クラッシュが始まる。
初めて観たが、これはつまんないです。だって誰も死なないんだもん。

『DEATH RACE 2000』!!!この作品をもはやB級とかクズ映画の範疇で語りたくない。それは劇場のでっかいスクリーンで体験すればわかる。マッドマックスの百倍は発狂していることを保障します。
まずどうでもいい車のイラスト(というか、もうちょっとどうにかならなかったのか?)が三枚くらいぺロッと映し出され、手描きのフォントみたいなタイトルへ。「これで何の映画化か分かるべ?」と、コーマン師匠の声が聞こえる。ムダに金を使うこたーない、ってか。
独裁体制の2000年のアメリカ社会。国民の意識をスライドさせるため(この辺の描写はほとんど劇中に出てこないが、別に問題ない)、年に一回アメリカ横断大レースが施行される。
本作が好きな人には繰り返しになるが、レースに参加する車がとてもカッコいい。バカカッコいい!レジェンド足り得るバカカッコよさ。
ツノをつけた闘牛仕様。ナチ女が操る黒い装甲車仕様。暴君ネロ(女)が乗るライオン丸。
ブレイク直前のシルベスター・スタローン演じる「マシンガン・ジョー」は本作で一番の直情バカであり、彼の車にはライフル二丁と巨大なナイフのトッピング(スタローンが主役のように刷り上げたポスターもしっかり存在する)。
主人公はミスター・フランケンシュタイン(デビッド・キャラダイン。※キル・ビルの「ビル」)。出場するたびに手足をふっとばすが結合して登場し、毎回優勝をさらう国民的ヒーロー。マスクと全身ラバーに覆われている謎の人。キバがついた凶悪なトカゲのようなマシンが痺れる(バカすぎて)。ジョーのライバル。
このレースにはポイントがある(ここ需要です)。走行中に人間をひき殺すと得点になる。男性や若者より女性、子供、老人などの弱者が高ポイント。
この国民的行事を潰そうとするレジスタンスも登場し、ドライバーたちにブービートラップを仕掛けて殺害を計画(この作品ではレジスタンス側が非国民扱いという、真っ黒いジョーク)。
五つのマシンが盛大に人々をぶち殺しながら行われる、年に一度のスポーツ・イベント!
血とヌードと爆発と爆走が山盛り。

あらすじはざっとこんな感じ。まあひどい。まあひどい。まあひどい。
たしかに現在のモラルからすればよく制作できたもんだと思う。が、チキチキマシンたちが跳ね飛ばし轢き殺しているのは、まさに「政治的な正しさ」とかいうモラルなんである。
映画はなにをやってもいい。「とてつもなく面白いものを見せてやる」という一点をクリアしてくれれば、それでいい。
二本を並べて思ったのだが、「バニシング」はいくら車がクラッシュしようが爆発しようが、誰も死なない。物見遊山感覚で事故を見ているようなもの。
それに対して「デス・レース」は、車とは走る凶器であるということを、嫌でも認識させてくれる。
そして、今の日本がこの作品に近づいている気がする。アルコールやあほんだらドラッグをキメて、ショーウインドゥに突っ込み通行人を轢く「リアル・デスレース」をやらかすクズがいるのはもちろんだが、2020年に行われる東京オリンピック、あれがデス・レースに見えてしょうがない。
ほとんど報道されなくなった原発事故だが、そっちが解決してないのに、なんでそんなことやるの?
国民の意識をさらにスライドさせるためなんじゃないの?
政府にべったりのレースを実況中継するアナウンサーが出てくるが、あれがアベにべったりの百田尚樹にダブる。
保育園の問題もあったけど、この国はやっぱり、子供や女性などの社会的弱者には優しくないんだね。高ポイントじゃなくて低ポイントなんだな。
ラストにフランケンシュタインの正体が明らかになるのだが、こういう人、出てこないかなあ。

ということを考えずとも、この作品が最高にアナーキーでオッペケペーなワイルド・ムービーであることに間違いはない。
リメイク版もあるけど、「ポイント制」の部分がすっかり抜け落ちているので全然ダメ。みなくていいです。


女子力映画二題・百円の恋とさそり

読みかけの本が増えてきている。ちょっと収拾つけたいし仕事っぽいこと(ブログ)もしたいので、また映画のことを書くです。
『百円の恋』がとてもよかった。この作品、男女どちらに支持されているのかわからないけれども、自分はロッキーの百倍の感動を持って受け入れた。
主演の安藤サクラがすげえ。伸びきったプリン頭。生気のない眼。ゲームしながら贅肉だらけの背中を掻く。猫背でちんたらチャリンコを転がす姿が絶望的に終わってる。衝撃ですよこのオープニングは!
まったくもってテレビ的でない、ということにおいてこの人は「映画女優」なんである。
弁当屋の実家でニート暮らしの32才。出戻りの妹と大ゲンカして家を出て(引越し費用をお母さんが出してくれるという、ダメちゃん感)行きつけだった百円コンビニの深夜バイトに採用が決まる。
ここに集まる人々が見事に最底辺。同僚の40代フリーターとか、本当にこういう人っているんだよなあ。
通勤途中のボクシングジムに通う店の常連・新井浩文に声をかけられ、何となくつきあうようになる。
新井もダメちゃん彼氏なので簡単に浮気され、それをきっかけに安藤も惰性で始めていたボクシングに本腰を入れ始める。
こっからがすごくて。だるんだるんだった身体は引き締まり、目つきや動きも俊敏なボクサーのそれになる。
繰り上げで試合出場の権利を得るが、32才はボクサーの定年。
ロッキーならばチャンピオン相手に一瞬だけ優勢になり、例の「エイドリアーン!」で大団円なのだけど、こちらはもうちょい現実に即している。つまり百パーセントの力を出せないまま判定負けになる(書いちゃっていいやねー)。
試合を観戦していたダメ彼氏に向かって「勝ちたかった!」と号泣し、「メシでも食おう」と手を引かれて帰るラストには、久々にボロ泣きしてしまいまいした。
マイナス男とマイナス女を合わせてもプラスにはならないようだし、始めたのが遅かったおかげで試合のチャンスも二度と巡ってこないのだけど、多分これをハッピーエンドって言う。

今まで女囚さそりシリーズは伊藤俊也監督の三作まで!と思っていたのだが、監督が交替した(長谷部安春)四作目『女囚さそり 701号怨み節』を見直したらなかなかよかった。
梶芽衣子も一番好きなのが本作とのことで。
披露宴の本番中にズカズカ入り込んでくる刑事たちが、いきなり大概である。指揮官は細川俊之。さそりはそこにスタッフとして潜伏していた。
一度は捕まるが運転手の刑事を薔薇のブローチで刺し殺し(カッコいい!)逃走に成功する。
逃げ込んだ先がストリップ劇場の照明係(田村正和)の部屋。彼はかつてゲバルトの運動家であり、刑事細川に尋問されリンチされた過去があるという関係。
さそりと同調し恋仲になるが捕まって、警察の「リアルかあちゃんのライブ泣き落とし作戦」には耐え切れず、居場所をリーク。
しかし「やたらと生レモンをかじるマサカズ」という演出には笑ってしまう(超すっぱいよ?)。
レモンが若さ=青さの象徴なんだろうか。

今まで乗り切れなかったここまでの違和感の原因ってのが判明しまして、要はさそりがダサいジャンパーにジーンズという「カジュアルな私服だから」ということなのであった。
いよいよ監獄に落ちるさそり。囚人服はお馴染み、ボーダーのワンピース。やっぱ、これじゃないと。
刑務所の描写が凄くて。青空のもと、絞首台が高々と。そこをナチスみたいな女刑務菅にどやされながら、女囚たちが懸命に雑巾がけしている。
男だけの警備隊は全員、黒ずくめの服にハットにサングラスでライフルを所持。今にも踊り出しそうな宝塚感。お勤めしたことはないが、「絶対こんなのウソだ」と言い切れる素晴らしさ。
で、脱獄したさそりを追う細川刑事という展開になるのだけど、彼の殺され方が「さそり史上最高のマヌケっぷり」なので、是非みていただきたいですね。
ラストには納得のハットに黒コートのさそりが登場。
それまでのさそりはクールでストロングで、「男と見ればぶっ殺す」みたいなキャラに痺れたのだけど、本作はマサカズとの関係に重きを置いた、女子力に溢れたものであった。
そこをカジメイさんもお気に入りなのであろう。





マッドマックス対ムカデ人間(続編対決)



古本屋なのに作業日誌などを一切書かずに申し訳ないのですが(とは全然思ってないけど)、そんなものを綴ったところでひとつも面白くありませんからね。新着本・推薦図書などはツイッターに挙げるようにしたので、そちらをご覧下さいませ。
ところで世間(というか世界中)の盛り上がりと自分の温度差を激しく感じたのが、『マッドマックス 怒りのデスロード』である。
やっとDVDで鑑賞。したところ。これが。全然。ついていけ。ない。
プレステじみた砂漠の場面にスキンヘッド軍団と主人公(マックスなの?)と妙に小奇麗なねえさんたちが逃げたりバトったりしているうちに終わっちゃったなあ。といったところで、どれだけ自分が退屈していたかというと、途中で「電子レンジの掃除」をはじめちゃったくらい。
やはりマッドマックスは一作目。テレビの洋画劇場で観た。出てきたバイカーたちは本当に凶暴で怖かったし、ラストのマックスによる「鬼畜の所業」は衝撃であった。
どうしても近未来とかSF的な設定に乗れない。超兵器とかロボットとかナントカ軍団とか、何でもありなのがどうも苦手。『時計じかけのオレンジ』は、要するに団地っ子の日常だし。常にジメジメした雨が降り続いていて陰鬱な気分になる『ブレードランナー』のみ例外。あれは下町慕情。

一緒にレンタルしたのが『ムカデ人間3』。もちろんシリーズを踏まえての上での話だけれど、最高です。
などと大っぴらに言ってもいいのかと躊躇するような内容だったのだが、先日映画友だちのP君が「(今朝観た)ムカデ3がいかに素晴らしかったか!」ということをマッドでマックスなマシンガントークを繰り広げに来たので「やはりオレは間違ってなかった」と思った。
舞台は「ジョージ・ブッシュ刑務所」。一作目の医者と二作目の警備員がそれぞれ所長(ビル・ボス)と会計士(ドワイト君)。全編、彼らの漫才。史上最悪の凸凹コンビ。
一作目は変態医師、今回はキチガイ所長を見事に演じるディーター・ラーザー氏という俳優にますます「ドイツは変態のくに」という偏見を強くする。
前作で主演のローレンス氏はとりあえず「あ、ちゃんと服を着てちゃんと喋ってる」と、まず思う。

冒頭、凶悪な犯罪者ばかりなので誰も言うことをきかず、半べそで「オレをリスペクトしろよ~!」と威嚇射撃するボス。
つまり、この作品はホラーじゃなくて、どす黒いコメディなのであった。
そんなわけでボスは、反抗者への容赦ないリンチや「DIY去勢」でタマキンを抜き取ったり(それを「エナジーフード」と称して揚げて食う)していて日々忙しい。
そのため常に復讐に怯えて酒に溺れている。囚人たちのシュプレヒコール「デス・レイプ!デス・レイプ!」が耳から離れない。
囚人たちを人種差別することなくディスりまくる。ニガーは当たり前、陰毛ヒゲのイスラム野郎とか、全身タトゥーの白人には「皮膚ガン」とか、あとなんだっけ、とにかく多彩なボキャブラリーは、ほとんどラッパー。
父親を釈放してやったろー?と秘書のデカパイ(デイジーちゃん)を奴隷として扱い、取り寄せた「クリトリスの干し物」をこんぺいとうのように貪る。
看守たちも従順にリンチに手を貸すし、専属医も「ボスには恩がある。医師免許ないのに雇ってくれた」(ダメじゃんか・・・)と、頭が上がらない。
ドワイト君は業を煮やし「映画観たでしょう!囚人たち(500人)の口と尻を繋いでムカデ人間にしちまえばいいんすよ!!」と、ボスに直訴。今回はツッコミ役っぽかったがなんのこたあない、こいつが一番狂ってる。
食事などの経費節減、更正処置としても最適(ぶっははっ)というわけ。
監督のトム・シックスも「トム・シックス監督」として登場。「ムカデ人間は医学的に百パーセント正しい」と豪語。
医師も「うん・・・ひゃくぱーせんとただしい」と同調。バカの国。結局一番マトモなのは、肉奴隷のデイジーちゃんか?
キャラが振り切れすぎて肝心のムカデ人間がオチだけになっちゃった感は否めないが、主人公ビル・ボスの立場ならば、はっぴぃえんどな結末。アホらしくも政治的にジ・エンド。
マッドマックスはメジャーな手法で作り上げた映画なのだろうが、作品は別にマッドがマックスなわけじゃなかった。「うーんマッドだなあ」と思うものはやはり底辺からじわじわと来る。頂上と底辺がそれぞれの手法で新しいものを更新していくのが正しいと思う。
結局、どんなジャンルでもセックス・ピストルズみたいな奴らが登場した瞬間が一番ワクワクする。


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