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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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しりあがり三題



メディアのパーソナリティーの「いろいろあった今年ですが」という発言をよく耳にする年末ですが、それを聞くたび「いやいや過去形にしてますけど事態はなんにも解決してないでしょう、むしろ現在進行形ではありますまいか?」と思うのです。
そんな中で読み返す、しりあがり寿『方舟』はかなり痛い。
雨が降り止まない世界。農作物への被害は深刻になり、町の「水かさ」がどんどん上がっていく。
それでもテレビはおちゃらけを放送し、「なんとかなる」と高を括ったサラリーマンは自宅待機してパソコンを見続け、歯磨き粉の宣伝キャンペーン用に作られた「方舟」に助かりたい一心の人々が我先にと乗りつけ、すべてを悟った上京組は家族を連れて自分たちの田舎へ帰るが、たった一軒残った高台の家すら水没していく(このシーンが一番切ない)。
方舟に乗れた者たちは食糧難でどんどんボロボロになり、それでも「雨がやんだら」昔の仲間とダンスを踊るためによろよろと練習を始める女子や、この状況で結婚するというカップルに対し、かつて夢や希望を歌っていた若者は「この期に及んでまだ希望だと・・・・」「お前らみんなバカか!!」とブチ切れる。
「私はいつだって私のために最善の努力をしてきたのに・・・・」、全部チャラ。
そして水位はいよいよ高層ビルを越え、かつて「空」であった場所に人々がぷかぷかと浮かんでいるという、漫画でしか表現できないラストの見開きは、繰り返し描かれてきた人類の終末の中でも、最も美しいもののひとつ。

「80年代ヘタウマギャグ」でデビューしたしりあがり寿氏は、近年そのペンネームとは真逆の、狂気や死を扱った誰よりもダークな作品を発表している。
『瀕死のエッセイスト』は大病を患っている主人公がさまざまな「死を想う」連作。
その死はブラックだったり、悲しかったり、優しかったりする。
解説の田口ランディ氏が「しりあがりさんの描く『死』はユーモラスで愛おしい」「だから読み終わってから、じっと抱きしめていられる」「そういう作品が、この時代にあることの意味は、とてつもなく大きい」と書いているように、実は癒し系。登場人物のほとんどは穏やかに自らの死を迎え、あるいは最初から「ほのぼのと」死んでいる。
死を恐ろしく書けば書くほどエンタメだが、こうした手法でやられると死も「詩」だな、なんて思ったりする。
確かに自分が病気で余命いくばくもないとしたら、そっと枕元に置いておきたい一冊。
「生きろ」なんて一言も書かれていないが、ラストのエピソードはまごうことなき「生」に対する控えめな希望。
元気で一生死なない人は読まなくても大丈夫です。
(同じ主人公が生命力あふれる「トレンディースポット」に繰り出し、水戸黄門のように「死を想え!!」と毎回喝破する、『メメント・モリ』もおすすめ。瀕死のくせに意外と働き者だ)

『ア○ス』はホラーよりもホラーな、「不条理な狂気に満ちた作品」などと書くと平たすぎるほど、凄まじい毒気を放つ。この不穏なイメージは、ちょっと文章では伝わりにくい。
「線」が怖い。線だけで怖いってのは本物。
個人的に楳図かずお・日野日出志・山岸涼子がホラー漫画家三羽烏だと思っているのだけど、ここまでやられるとしりあがり寿もその列席に加えたいと思う。
もちろんストーリー自体はしっかり構成されている「まがいものの狂気」なわけだけれど、ページからこれほど禍々しいにおいを放つ漫画にはそうそう滅多にお目にかかれないよなと思っていたら、連載誌は「ユリイカ」ですかそうですかと納得。これは狂気をギリギリまで引き寄せた、むしろエンタメだとは思うのだが、鬱気味の方は手に取らないほうがいいかも知れない。
「境界線」を表現することにおいて、しりあがり氏は実はめちゃめちゃテクニシャン。これを読んで「ヘタクソで意味不明」と感じたあなたは健全で健康。でも、それはそれで正解。
カバーをめくると分かる、ラストの大オチも凄い。

『ア○ス』と『瀕死のエッセイスト』のカバーがすごく洒落ているなと思ったら、デザインはやっぱり祖父江慎さんだった。読み捨てされるべきではない本には、それに見合ういい装丁が施されないといけませんよ、ほんと。

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食らえ!デルモンテ爆弾



説明会おさぼりさんしちゃったい。というわけでしれっと本日も開けているのですが、人っ子一人入店されませんなあ。
なんとかしないといけませんなあ。アングラじゃ食えませんなあ。
8年目なのですが、前から気付いてはいるのだが、吉祥寺にそういう文化は根付かないとうことがよーくわかった。うんうんうんうん。
願わくば「ヨドバシ裏」にカフェとかじゃない変なスポットが増えればいいのにな、と思う。ここは吉祥寺最後の楽園ですよ。珍種が分布をひろげるには最適じゃないか。
東急裏や中道、南口なんかは人通りが多くてうらやましいのだが、自分がそこにずっといたら「おまいらなんか大嫌いだッ!」なんつって泣きながら駆け出しそうな気がしなくもない。

京極夏彦との対談集『バッカみたい、読んでらんナイ!』(FM東京出版)が大変面白かったので、平岡夢明短編集『ミサイルマン』を読んでみる。
(しかし京極先生って方は、和装に茶髪に指なし皮手袋という、かなりバランス感覚の欠けたコーディネイトがお好みだ。なぜだ?そして馳星周はみうらじゅんと見分けがつかない。脱線)
この人はかつて「デルモンテ平山」名義で、ゴミ映画の紹介コラムなどを書いていて、結構自分なんかは面白がって読んでいたのだが、実はホラーの名手だったのでした。
吸血鬼・人狼・拷問マニアなどをスカムな味付けで再構成。特に人体破壊の描写が凄まじい『枷』なんかは、かなり読者を選ぶ。
乾いた笑いの持ち味と残酷趣味が釣り合ったのが表題作で、ハイロウズの「ミサイルマン」を聴きながらストレス発散、面白半分に女性を虐殺する「快楽殺人鬼」の男二人。
どうにもすっとぼけた彼らの関係は「傷だらけの天使」みたいだなと思ったら、ラストもなんかそんな感じだった。スラプスティックなスプラッタ!読後はスカッとさわやか!、か?
作者が「自分にとって小説は現実から逃避するためのものだったから、文豪の名作には興味がなかった」と発言しているので、彼のフィルターがこのようなダークなエンタメを生んだ。
現実的に死はあるし殺人もあるし事故もある。難病ものの感動作が支持されるのはもちろん良いこと。
ただその裏側で、「猟奇的な冗談」も、その道の手だれたちによって吐き出し続けられなければならないと思う。心優しきハイロウズだって、「ミジンコでもクジラでも 生きてる奴が気にいらねえ」と、どうにもならないヘイトをぶちまけているのだから。

佐川が千摺りを夜にコイたせいです。



以前から気になってはいたのだが、流通網から「こんな商品は扱いたくありません」と取次ぎを拒否されたというなかなかのレアもの・『まんがサガワさん(佐川一政著/オークラ出版)』が入手できたので、読んでみる。
猟奇犯罪者が自分の犯行を「まんが」として発行したという意味では、奇書と呼んで差し支えないと思う。
まさに「人を食った」本。なんちて。
しかしこの人はどうも罪の意識が薄いんじゃないかと思う。
かの『デビルマン』では、カメの姿を模したデーモン・ジンメンがデビルマンに向かって、「俺は殺したんじゃない、食っただけだ」「人間の感覚じゃ動物を食うことは悪い感覚じゃないからな」と言い放つのだが、それに沿ってみればサガワさんも「僕はルネさんを殺してはいません。食べただけです」ということになるんじゃないか、その辺を理解して欲しくて執筆しているうちに「作家」なんて有難い肩書きまでついてしまったんじゃないか、などと思う。
しかも彼は自分を「キラーエリート」だと思っている節がある。月面着陸をやってのけた、みたいなノリか。
が、カニバリズムの歴史を紐解けば、少女を「じっくりことこと煮込んだスープ」にして全部平らげ、ご丁寧にもその両親に「大変おいしゅうございました」と手紙を送りつけたアルバート・フィッシュとか、54人殺したうちの何人かはお召し上がりになったであろうロシアのチカチーロとか、黒人の男性ばかりを殺して食べ、警察が踏み込んだアパートには冷蔵庫に生首、鍋には性器や内臓が入っていたというゲイのジェフリー・ダーマーなどのつわものがいらっしゃるので、サガワさんなど実はまだまだ幕下なんである。なんちて。
ただ彼の場合、「食べ残し」の現場写真が流通してしまっているので、その衝撃はかなり大きい。
この本もカバーを外すと、ばらばら血みどろの写真がコラージュされている(要するに遊んでいます)。

マンガ自体は稚拙なんだが、事細かにその蛮行が描写されているので、こういったものにある程度免疫がないと、マジで気持ち悪くなると思う。
まあしかしこの人は常にマヌケと背中合わせの運命にあるようで、被害者の死体を鞄2個に詰め、シータク呼んでブローニュの森に捨てようとしたのだが、フランス初夏の午後8時はまだまだ真昼で悪目立ちし、自力で湖に捨てようとしたがまるで動かず、そのうち疲れ果て「きれいな夕陽だなー」などと思っているうちに(この辺が常人の感覚ではありませんが)地元の大男に鞄をこじ開けられ事件発覚と相成りました、という。
そんなこんなであるので、この事件にはちょっとだけ「ユーモア」すら感じられるのである(とか書いちゃいかんのだが)。

他にもイッセイ氏のエッセイが収録されているのだが、それによると「佐川一政無罪放免」の裏には、佐川父が一財産ぶん投げ、ありとあらゆる手段を使って息子を「精神異常」に仕立て上げたらしい。普通の親だったら「死んでこい」と言っても差し支えない事件であるというのに。
さらに自由になってからのサガワさんはプロ・素人問わず相変わらず外国人女性に入れ上げ散財し、あらゆる方法で借金しまくり、すべての尻拭いは全部父親という、究極の放蕩息子と親バカなのであった。
自分にはこちらの事実が衝撃的であった。
それにしても事件後、ある意味「名声」を獲得し、複数の女性と浮名を流し、殺人者としてはずいぶん幸福な人生だなー、などと思ってしまったのでした。

愛と死を見つめたヤンサン



「週間ヤングサンデー」は何年か前に廃刊になってしまったが、この雑誌って自分が読んでいた時期は、山本英夫『殺し屋1』・新井秀樹『ワールド・イズ・マイン』・松永豊和『バクネヤング』・喜国雅彦『月光の囁き』・相原コージ『ムジナ』など、エロスとタナトスにあふれた突出した作品がボコボコ掲載されていたっけな、という印象が強い。
いままで未読だったヤンサン女性作家陣の作品、『マイナス』(山崎さやか)と『いぬ』(柏木ハルコ)を読む。

『マイナス』は、美人教師なんだけどいじめられた経験のトラウマが強すぎ、ついつい卑屈になって相手の言うことを「何でも」きいてしまうというエロコメ風味で始まったのだが、ふとしたきっかけで他人より有利に立つ快感に目覚め、そこからストーリーが果てしなく暴走していくのだけど、この「マイナス思考のジェットコースター」な感じはどこかで読んだなと思ったら、安達哲の『さくらの唄』がそれであった(とってつけたような結末も似てる)。
猛抗議されて掲載紙回収、単行本にも欠番扱いになった「山で遭難した主人公たちが事故で死んだ幼女の肉を焼いて食う」というエピソードも、太田出版の「完全版」には収録されている(実際読むと別に、どうってことはないです)。
そんなことより後半、女教師が自分勝手に壊れて破滅していく様がどんどん笑えなくなって怖い。結構これ大変な作品。

『いぬ』は思わず膝をぽんと打ってしまうような、女性の性欲に焦点を当てた「女子オナニー漫画」というか「クンニ漫画」というか、そんな作品。
ストーリーの軸になるのが「クンニリングス」なんだもの。
密かに自分の性欲処理を飼い犬で処理していた女子大生・高木さん(バター犬にしていたのですな)だが、愛犬が死んでしまう(バター舐めさせすぎで糖尿病になったのですな)。
イケメンとのセックスでは精神統一ができないので、無為に「それだけ」をしてくれる「いぬ」のような男子(中島くん)」とたまたま出会い、いきなりクンニをお願いしたのが始まり。
中島くんは惚れこみ「つきあっている」と思い込み(そらそうだ)、高木さんはやっぱりイケメンがタイプなので、彼は単なる性欲処理の対象。このズレが絶妙にずーっと続く。
高木さんは研究熱心なのでいろんな自慰の方法を試みるが、やっぱりもうひとつなので「中島くん(いぬ)」になんの邪気もなく、お願いしに行く(クンニとセックスを)。
中島くんがふっ切れ自分の立ち位置を受け入れ、はっぴいえんどに向かっていく流れはなかなか感動的。
女性作家が少なからず自分の性癖を露呈しながら描いていると思われるので、そういう意味でははこれ、男気に溢れた作品である。
エッチだよ。

地獄のカッコマン



ここのところ犯罪本を立て続けに読んでいたりするのですが、特に強烈な印象を残したのが昭和五十四年の三菱銀行立てこもり犯人・梅川昭美(うめかわあきよし)を描いたノンフィクション、『破滅ー梅川昭美の三十年(毎日新聞社会部編・幻冬社アウトロー文庫)。
本人が大藪晴彦ファンなので、おそらくその主人公を模したイメージのファッションで銀行に押し入り五千万を要求し、猟銃で警官や銀行員四人を射殺。
女子銀行員を裸にして人間の盾にし、さらには「ソドムの市(パゾリーニの残酷映画。この辺のアイテムを知ってるところがまたなんとも)を知ってるやろ?」と、人質に命令して、負傷した銀行員の「耳を削がせた」極悪人。
警察の特殊部隊により射殺。享年三十歳。胸に刺青を施し、犯行直前にアフロヘアーの手入れをして臨んだ洒落者。
十五歳の時に強盗殺人を犯している。

「三十までになにかでかい事を」と思い詰めた結果がこの事件だったらしいのだけれども、いざ犯行に及んだら何かどーも勝手が違う。なんで抵抗すんねん?と、なし崩し的に発砲&篭城。
その後もちまちました借金を銀行員に命じて返済に回らせたりしているのだが、こういう形でお金を返したところで、無効だそうです。さらには「普通の犯罪者」のように「逃亡」という選択を示唆しないため、現場の指揮官も「何を考えているのかさっぱり分からん」と、相当困ったらしい。
要するに何も考えてない。犯罪者としてもド素人。いわゆる「男の意地」みたいなもんに動かされたあげく、にっちもさっちも行かなくなって自滅した迷惑極まりないバカ。
解説を書いている宮崎学(犯罪のプロフェッショナルですね)も、「ズサンで幼稚」と喝破している。

本人も、「おれは精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや」という言葉を残しているのだが(これもまた芝居がかかっているというか)、それに沿って考えるとこの破れかぶれな行動は、一連の連続殺人犯なんかと違い、ちょっとした悲壮感もたたえていたりする。
で、後年この事件を元にした、『TATOO[刺青]あり』という映画も製作されている(監督・高橋伴明)。
主演の宇崎竜童が梅川昭美にソックリ。正直、梅川にかなり肩入れしているような作品なのだが、なんか昔から好きで、ついつい再見してしまうんですね。
映画ならラスト、この本なら冒頭に母親と坊さんの二人だけで行われた梅川の葬儀が描かれているのだが、こういうのはちょっと胸が締め付けられる。犯罪はしないのが良い。ちまちまとでも生きてりゃそれだけでも真っ当ということで、よろしいじゃございませんか。
ダウンタウン・ブギウギ・バンドの曲に『カッコマン・ブギ』ってのがあって、いわゆる昭和歌謡ロックみたいなものなのだけど、「カッコマン/なりたくって/カッコマン/なりきれない/それが悩みのタネじゃん」という歌詞が意外と、梅川昭美の本質を捉えているのかも知れないとか、こじつけで今、思いました。

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