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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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カルトムービー三題



まあしかし。あまりにも自分や店のことを書かない(書くほど面白いことがまったくない)ので、そろそろブログタイトルも変更しようかと思っておる次第。ちなみに最初期は「がんばれチヨジ日記」でした。
カルトと呼ばれる映画を三本観まして、そのうち二本はわざわざ中野ツタヤからレンタル。あそこは防犯キーが付いているので、セルフレジで知らずに帰ると悲しい結果になります。
まずはリベンジ・バイオレンスの古典として名高い『鮮血の美学』(72)。
ちょいヒッピーでフラワーな娘がならず者たちにレイプされ殺されてしまい、その犯人たちが知らずに彼女の両親の家に宿を乞う。彼らが娘を殺したことが発覚してしまい、両親が怒りの大殺戮を展開するというシンプルな話。
母ちゃんはコチンを食いちぎり、父ちゃんはチェーンソーで切り刻む。とはいえ、直接的なゴアシーンはない。
当時は衝撃的だったのだろうけど、今となってはかなりもっさり。
それでも何ともいえない変てこりんな気分になるのは、あきらかに「どうかしてる」編集というか構成。
娘を殺した犯人たちは汚れを川で落とすのだが、そこに妙にメロウなバラードが流れる。それ必要か?
のんきな警察官と鶏を運搬するおばさんとの妙に間延びしたコメディ的会話。それ必要か?
映画は陰惨なラストを迎える。そしてエンドロール。殺された主演の娘さんが楽しそうに笑っている。そこに流れる脳天気なカントリーソング。
さらに続く出演者たちの顔ぶれ。冷酷な殺人者たちも、彼らを殺さなければならなかった両親も、のんびり警察官たちも同じようなトーンでカントリーと共に流れていくので今までの悲惨な話は一体なんだったのか?というか、台無し感がすごい。そこだけなら普通に楽しい映画のエンディングなんである。
当時は劇場で観客が怒りまくったと聞くが、それはもしかして呆れるような「無邪気さ」というか「罪のなさ」に対してではないか。
制作と脚本の二人はそれぞれ、『エルム街の悪夢』と『13日の金曜日』の監督として大ヒットを飛ばす。



『悪魔の植物人間』(73年)は身体の動かない人がなんかする、というわけではない。
例によっておかしなおかしな科学者が「人間と何かを合体させたらいいもんができるのではないか?」とがんばる系の話で、今回はそれが食虫植物。
それにしてもマッドサイエンティストにゃでっかい夢がある!フランケンシュタイン博士も死神博士もハイター博士(ムカデ人間)もみんなそうだね!
冒頭を飾る「食虫植物の成長過程の早回し」が禍々しくも美しい。リアルな『遊星からの物体X』みたい。
監督は結構なキャリア組のジャック・カーディフ。

主人公は大学の講義をしながら、自分とこの学生を誘拐しては、植物との合体手術を繰り返しているノルター教授。失敗すると見世物小屋行き。教授には顔面奇形の手下(リンチ)がいて、彼が裏作業を担う。
実験が成功すれば「おまえさんの顔も治してやる」と約束されているからである。
実はこの映画の本当の主役はフリークスたちで、当時の本物の見世物スターたちが一堂に集う。
小人はもちろんヒゲ女、多毛症のサル女、ガイコツ女、脚にまったくカルシウムがない人、「飛び出す目玉」の黒人(この人マジですごい芸です。ドライアイになったりしないのかなってのが心配)、皮膚がガサガサに硬化しているワニ女など。
彼女は舞台で「私は魚鱗癬という病気で、髪の毛も生えません。でも、七人の子供の母親です」と、心温まるエピソードを語る。ということでわかるように、本作は彼らにちゃんと台詞を与え、健常者とまったく同じ「俳優」として扱っている。
芸人のひとりが誕生日なので、フリークスたちがそれを祝うパーティーを楽しんでいるシーンがある。
そこにリンチが現われるのだが、皆から「あなたも仲間じゃないの」「一緒に祝ってあげて」と言われて超ブチ切れ。場をメチャクチャにする。
リンチは他の者と違い、自分の運命を受け入れていないのだ。彼はその足で売春宿に向かい、高いチップを払い女に顔を見せて「愛してると言ってくれ」とせがむ。知られざる名シーンだ。
で、最後の最後に全身を現す植物人間。ウツボカズラとの合体生物で、なかなかグロくていいデザインだけど、「バロムワン」の怪人とかにこんなのいなかったか?という気がしなくもない。
そして我々「和の民」としては、ひょっとこを連想するいい顔なので、ちょっと親近感がわきます。



ひさびさに観た『バスケットケース』(82)。監督はドイツの巨匠(変態作家としてですが)、フランク・ヘネンロッター。
身体に奇形の兄を宿していた弟(けっこうイケメン)。彼らは分離手術で独立する。
兄は人間というにはあまりにもアレな肉の塊で、弟にはテレパシーで心を伝える。
弟は自分たちを離れ離れにした医者たちに復讐するために、バスケットケースに兄を入れて持ち歩いているのだ。
というか弟は心を完全に支配されているので、兄の怒りにつきあう形である。
「不思議ちゃんのバスケットケースには小動物が入っている」とはリリー・フランキー氏の説だが、本作のバスケットには奇形で凶悪な兄ちゃんが収納されている。
とにかく「おこりんぼ」かつ「かまってちゃん」。バスケットを開ける者は容赦なく傷つけ殺し、弟に彼女ができれば気に入らん!と殺害して「レイプのようなこと」までする(不覚にもここで爆笑)。
あまりにも短気なので、よく言われているような「フリークスの哀愁」は感じない。むしろ弟に同情します。
肉兄貴がものすごくちゃちいのはご愛嬌。しかし本作は創意工夫の映画なので、コマ撮りも駆使して兄貴の動きを見せるのだが、そこだけ画質が変わっちゃうのは微笑ましい。つまり「ハンドメイドってのは良いね」と言いたいわけです。
しかし分離手術を執刀した医者の一人が「獣医」ってのはすごくないか?




「カルト・ムービー」と呼ばれるものの多くは、普通の映画に比べて何かが欠けている。
それは「思いやり」とか「良心」だったりするのかも知れないけど、捨てたものがザックリしている分、ある意味で「豪快」である。
やましいのになんだか惹かれちゃうよねってことで、・・・ご同輩?(返事して!)。

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秋のバーホーベンまつり



今年は妙に蒸し暑かったり雨が続いたりであまり秋っぽくないまま10月になりましたが、ようやく涼しくなった。
とはいえ現実逃避の映画鑑賞しかしていないので、別に天気なんかどうでもいいのだが。
ああ現実が辛いつらい。
ポール・バーホーベンにはまった。まとめて作品を観たら全部面白かった。「バ」で始まり「ン」で終わるキャラは「バカボン」「バットマン」「バラゴン(地底怪獣)」など、カッコいいものが多い。
そこに力入れますか?といった作風。『ロボコップ』は特に顕著で、ヒーローものだと思って借りるとあまりの残酷さにびっくりする。カクカクした「ロボコップものまね」が一人歩きしている気がしなくもないが、とんでもない映画なんだぞ。
『スターシップ・トゥルーパーズ』(97)も然り。「アクションSF」で間違いじゃないんだけど、蓋を開けてみれば全編血まみれ。
市民権欲しさに志願兵となった若者たちが巨大ムシ軍団(バグ)と戦争している未来社会。このバグたちが大変気色悪く、さすがにこれはちょっと、怖気立ちながら観てました。カマドウマ大嫌い。
若い兵隊たちがバグに虐殺されていく。SFの枠としてはそこまでやんなくてもというくらいのゴア描写。
実はかなり悪趣味な映画だが、面白いのである。たいへん面白い。ただし「戦争は嫌だなあ」と強く思う。しかも、わけのわからん虫なんかにぶち殺されるのは絶対嫌だ!
好戦ファシズム国家を皮肉ったラストも強烈な一撃。極端な形の反戦映画だったりして。



大ヒット『氷の微笑』(これだけ有名なのにノーパン足組みシーンしか知らない)の次に監督した作品が『ショーガール』(95)。
大コケ、評価はボロクソ、その年の最低映画賞(ラジー賞)まで受賞。という情報しか知らなかったのだが、面白いじゃないですか。一体どこがダメなんだろう?
ストリッパーど根性物語INラスベガス。おっぱい出しすぎ?せっかく付いてるんだから出せばいいじゃんか。ストリップが舞台なのにビーチクは隠せってか?
ストリッパーたちのダンスがカッコいい。これも込みでダメな作品というのならば、じゃあ一体何だったらいいの?という話ですよ。
基本的に少女漫画の世界。というより愛憎が交錯するのでレディコミか。
難解なだけでしょうもない作品も数多いのに、すがすがしいまでのベタさ。そして頻繁におっぱいが登場するので、段々何とも思わなくなってきます。
女を売っているはずのストリッパー(主人公)が根性者で、くだらん野郎どもをぶっとばして終わるのだから、フェミニズムに満ちた作品とも言えるのだが。
バーホーベン先生はラジー賞のステージに上がって、直々にトロフィーを受け取っている。
洒落者である。



さらに大コケ、低評価という『インビジブル』(2000)。なんでかなあ。面白いのになあ。
生物を透明にする研究をしているチーム。リーダーの科学者であるケヴィン・ベーコンは天才肌だが、傲慢ないけ好かないやつ。彼が自ら人体実験のモデルになる。
透明化していく過程が、皮膚が無くなり筋肉になり内蔵や血管が見えて徐々に消えてゆくというエグいもので、世界にどれくらい「透明人間映画」があるのか知らないけれど、本来地味なテーマをここまで悪趣味な見せ場を作り盛り上げたのは、やっぱり偉い。
そして透明になった者はエロいことをする、というのは古今東西の定石。さらにベーコンは性格までも加速度的に凶悪化する。
どうせ「モンスターの悲しみが描かれていない」とか何とか叩かれたのだろうが、そんなもんどうだっていいよ。
半分くらいは透明人間なので、天晴れなくらいケヴィン・ベーコンの無駄遣い。

次々に作品が大コケするので「ハリウッドなんかもういいよ」と、オランダに戻って撮った『ブラックブック』(2006)。
ナチス時代の話が大好物なんですが、これ最高です。サスペンス仕立てなのでネタバレしないように書くと、家族を殺された復讐のためにナチ将校・ムンツェのスパイとして潜り込んだユダヤ人女性・ラヘルの物語。
このムンツェが「とてもいい奴」で、彼に近づくためにラヘルが用意したのが切手
ムンツェは切手マニアなので「えっこんなの貰っていいの?」と喜ぶ。このさまは男ならわかっちゃうんだよなあ、という感じ。
彼の描き方がとにかく斬新であり、「ナチスと言えど集団なんだから、いい奴だっているに違いない」という発想。対照的に「いかにも悪いナチ」という風情の将校も登場するが、この人がピアノも歌も達者ってのが笑う。後半、ラヘルにはとんでもなく悪趣味な制裁が待っている。
もちろん上から目線はなく、さくさくとストーリーは進み、主演女優はちゃんと脱いでいる。

どうせおっさんとおばさんが揉める話だろうと思ってスルーしていたが、『氷の微笑』も観なければいけないなあ。

火星ディスコスターマン



やはり理系が一番強いと、映画『オデッセイ』(2015)を観て思った@池袋文芸座。
監督は『エイリアン』『ブレードランナー』『ブラックレイン』『ハンニバル』などで知られるリドリー・スコット。
多作な人なので全部は追いかけられないが、この四作はどれも最高ですねえ。
事故で火星に一人だけ取り残されてしまった植物学者・ワトニー(マット・デイモン)が、科学の知識と能力で生き抜いてゆく。
これが自分みたいなゴミクズダメ文系人間だったら知識も計算力も(さんすうできない)行動力もないので、「ああもうダメだ死ぬ死ぬ死ぬ」とか散々愚図ったあげくボロボロで死ぬのである。
どうでもいいのだが、うちは本来理系の血筋のはずなのになんでオレはこうなのか?というのは常々疑問に思っているところ。ああもう死ぬ死ぬ死ぬ。

舞台は火星だが宇宙人もモンスター出てこなければ惑星戦争もない。それでは主人公は何をしているかというと、次の地球からの有人機が来るまで(四年後)生き延びるため、ジャガイモの栽培を始めるっていう。
万が一の場合にそなえ、彼はビデオレターを残すのだけど、それがあまり深刻にならずにどこかおちゃらけている。要するに火星が舞台のノリツッコミ。
細かいギャグは忘れてしまったが「ここではなにをやっても僕が一番乗り!」とか。
聴ける音楽は女性船長が残したディスコヒットのみ。というわけで水も食料も自分の命もヤバいという深刻な事態なのに、ずっとディスコが鳴り響いているというお笑い状況。
個人的に「現実と仮想現実の中でオレは一体誰なんだ?と悩む系SF」は頭がついていかないので(「トータルリコール」も「イグジステンズ」もダメでした!バカだ!)、この日常ベースのもっさり感はいい感じ。
そのうちNASAがワトニーを発見。地球の科学者との連係プレーによって彼は果たして帰還できるのか?という物語。
科学用語が多様されていてそこは難解だが、結局絵として見せてくれるので全然オッケー。全員がひとつのミッションに向けてがんばる。随所にギャグを散りばめてある。ホームドラマは省略。悪人は登場しないなど、『シン・ゴジラ』との共通点多数。
前半のワトニー火星日記が(あえて)ふざけ感満載なので、後半のマジミッションが生きる。これを観てると、ギャグを生むのは「冷静さ」だなあとつくづく思う。劇中、デビッド・ボウイの大名曲『スターマン』がかかるシーンがあるのですが、これはちょっと、というかかなりグッと来ます。
ラストに流れるのはディスコソングの大ヒット『恋のサバイバル』。火星の話で最後これかっ、ていう。
なはははの泣き笑い。
火星関連の映画としては、地球に飛来した火星人がなんの意味もなく人類を虐殺するコメディ『マーズ・アタック!』(ティム・バートンの最高傑作)と並ぶ名作。
ちなみにこの日は『デッドプール』と二本立てだったのだけれど、一回観たしあのオッペケペー映画によって余韻が台無しになる恐れがあると思い、ケチな自分には珍しく一本だけ鑑賞して帰宅したのだった。

あっ。終わってしまった。やはりいい話とか感動した話とかはくどくど書いてもしょうがないというか、ちょっと臭くなってしまう前に切るのがよいのであった。






コメディ映画総ざらい



すうさい堂スクワッド大ヒット!すうさい堂店舗はちょうヒマ!店主寝すぎ!また悪夢見た。
ますます本を読まなくなっていく傾向の自分ですが、映画はものすごく観ている。で、それを書くことが一体何の役に立っているのかわかんなくなってきましたが、とりあえず本日も頭の中のどぶさらいをする。
最近、コメディに注目しているのですね。もちろん「ハートフル・コメディ」とかいう意味わかんないやつではなく、ブラックなやつ。とびきりブラックなコメディがみたい。『スーパー!』も『ホラー・シネマ・パラダイス』も、コメディの棚から発見した。本来はギャグについてあれこれ言うのも無粋であり、みた人が笑えればそれでいいのだ。サクサクいきましょう。

『ホット・ファズ~俺たちゃスーパーポリスメン』(2007)と『ワールズ・エンド~酔っぱらいが世界を救う!』(2013)は、ゾンビパロディの大傑作『ショーン・オブ・ザ・デッド』のエドガー・ライト監督。
「ショーン~」は大好きすぎるので別枠で書きたい気もするし、ひとこと「観ればいいじゃん」とだけ言っておきたい気もする。「ギャグってのはここまできれいに決まるもんなのか」と感心するくらいのキレキレ演出であり、グロさもまあまあ押さえ気味の、史上最もいい塩梅のゾンビ映画。
あ、ラストに流れるバズコックスがものすごく腑に落ちる!!
低予算だから、ゾンビメイクも全員がカラコンつけてるだけってのもいいですね。
この作品で「バカ二人」を演じたサイモン・ペッグ&ニック・フロストのコンビがそのまま上の二作にスライド。
サイモンは前作と違いロンドンの優秀な警察官。が、優秀すぎてやっかまれド田舎に転勤。まさにそこは平和な町で、何もなさ過ぎのため署内もダラダラムードで、誰もまともに仕事に取り組まない。
だが、あきらかにおかしな死亡事故が続き、捜査するサイモンが事実を掴んでいく。サスペンス仕立てでもあり、バイオレンス描写もあり、ちょいオカルトも入っていて、それを途切れないギャグで糊付けして進んでいくという大変素晴らしい作品。
ニックが前作から引き継ぐ形のアホアホ警官ぶり。足りない系を演じさせるとこの人は最高。あと白鳥シーンには悶絶。白鳥最高!
『ワールズ・エンド』でサイモンはアル中のダメ人間。高校時代の仲間を呼び出し、かつて挫折したビールの梯子(パブクロール)を無理矢理実行。ニックは一応カタギの役で登場。
なんだかんだパブを回っているとサイモンはトイレで若者と一悶着。実はそいつは身体を乗っ取られたロボットでした、というところでいきなり侵略SFな展開に。
かなり極端でストーリーで、前二作と比べたらちょっと硬くなっちゃったかな?という感じ。
しかし侵略者に対して放つ「地球をスタバ化すんじゃねえ!」というセリフは最高。すげえカッコいいメッセージだ。
そして、同級生のおっさんたちがずらりと並んでパブ通りを歩くシーンに流れるドアーズの「アラバマ・ソング」。もはや主題歌ですね。「次の酒場が見つからなけりゃ/俺たちは死ぬんだ」。
しかし「俺たちゃ~」「酔っぱらいが~」といったおちゃらけサブタイトルはいかがなものかと。
あのカッコいいストレイ・キャッツも「ごーいんDOWN TOWN」とかのセンスない邦題のおかげで長らく聞かず嫌いであった。

『バッド・マイロ』(2014)。尻の穴より生まれ、尻の穴に帰るモンスター、バッド・マイロ!
気弱な会社員の主人公は元々お腹が弱いのだが、リストラ係に転勤させられらおかげでストレスも最高潮に。そのストレスから生まれたのがマイロと名付けられた「動く腫瘍」であり、ストレスの原因となった者たちを次々とぶっ殺していく。
もう完成した時点で残念賞は確実というしょうがない作品だが、ちゃんと作ってるから偉いと思う。
黒目勝ちなマイロがかわいい。怒ってるときもいいが、宿主になついて「くーん」となってるところがかわいい。
だが主演俳優!こんなお下劣な作品に出ているのに尻のひとつも見せないとはどういうことか。
ズボン履きっぱなしじゃマイロ君が帰って来られないだろう!という一点は気になったのだった。

『ネイバーズ』(2014)。マイホームを手に入れ子供も生まれたばかりの夫婦の真横に、学生のパーティーサークルが引っ越してくる。最初はマリファナなんかを振舞ってうまくやっていこうとするが、連日のどんちゃん騒ぎであっという間に両者の仲は険悪になり、夫婦は「大人の悪知恵」で学生サークルをぶっ潰そうとするドタバタコメディ。
R18指定なので、どんな過激な内容かと思ったら、「下ネタが多すぎてお子様にはみせられない」ということでした。はっはっはっ。
人も死なないしハッピーエンドなので、割りと普通におすすめです。

『ゾンビ処刑人』(2009)。まだあるよゾンビもの。これは隠れた名作。一押し。
軍人のバートはイラクで殉死。故郷に埋葬されるが、なぜか蘇って(説明なし)墓から抜け出し、親友のジョーイのもとを尋ねる。
で、「なんでお前生きてんの?」「俺もわかんねーよ!」といったやりとりがあり、バートは血を飲まないと死んでしまう(死んでしまう?)ことが判明。
最初はホームレスの血を吸おうとするのだが案外彼らもかたくなであり、そのうち強盗に遭遇。この強盗をゾンビパワーで撃退し血を吸ったら、身体にも生気がみなぎり、いい感じ。
じゃあ悪い奴らをぶっ殺して血を吸えばいいんじゃね?ということで、二人の自警団活動が始まる。
自警団とはいいつつも、相手から銃や現金やヤクをくすねたりしているので、ジャスティス感はゼロ。
そしてジョーイが撃たれて死んでしまうが、バートが彼の血を吸ってゾンビとして蘇生。ゾンビ・バディの誕生。
後半、話は悲劇的な方向に向かう。ここから先はネタバレ承知で書いてしまいます。
首だけになったジョーイがバートと喋ろうとするが、声が出ない(なんか理にかなってる!)。
するとバートは引き出しからバイブ(大人のおもちゃ)を出し、それをジョーイの首に当てて拡声器として使い、最後のコミュニケーションをする。
あっ。これは究極の悲喜劇ではないか。バカバカしいにも程があるが、悲しみはすげえ伝わる名シーンなのだ。
ゾンビといえど「血を吸う」のみなのでそれほどエグい描写はない。原題は「The Revenant」。
同じタイトルでもうちょっとまともな映画があった気がします。

うーむ、やっぱり無粋でした。




ショウ・マスト・ゴー・オン



『ニュー・シネマ・パラダイス』という映画があって、かなり昔に観たはずなのだが、まったく何にも覚えてない。まあ、観た人は端から泣き崩れていくという伝説の恐ろしい作品であるようだ。
そもそも「泣ける映画」って何なのでしょう。泣けるという評判を聞きベタな展開にスイッチを押されてみんなで泣き「アー泣いた泣いたよかったあー」と劇場を出る。?????
不意打ちを食らって涙が出るのは理解できるのだけど、「さあ泣かせろさあ泣くぞ俺様は泣きに来たのだからもし泣けなかったら金かえせ」という意気込みで鑑賞するのであれば、もう一生映画なんか観なくていいよと言いたい。
だいたい人が泣きスタンダード映画(泣きスタ)を指し、「あれは泣けるよーっ」と発言するときの「自分は真人間だよーっ」と言いたげな空気、
「自分は本当にいいものを知っていてすごいでしょう?」と言いたげな高飛車な匂いは何なのあれ?
共通認識を強引に迫ってくる感じが最悪。
よって「全米が泣いた」とか(え?全米?)「感動の実話ヒューマン・ドラマ」等の謳い文句を付けられたものはすべてスルーさせて頂く方向である。観客がピーピー泣いているのをCMに使うような志が低い作品も然り。
そういえばツタヤの「親子で感動」コーナーに『スタンド・バイ・ミー』が置いてあって驚いたのだが、「あれを親子で観るってのもちょっといいかもね」と思い直した。
ちなみにスティーブン・キングの原作タイトルは「THE BODY」(死体)であり、タイトルをベン・E・キングのヒット曲と同じに変更し、それを最後に使うというのは映画制作陣のセンスによるものだ。
ラストに流れるのがロバート・ジョンソンとかのドロドロのブルースだったりしたら(むしろそっちのほうが内容に合ってる気もするが)、かなり映画の印象も違っていたはず。
原作にはゲロもヒルも出てきて「そこをちゃんと映像化した」という点が一番信用できる。自分にとっては『ブルー・ベルベット』に近い作品。

『ホラー・シネマ・パラダイス』(2010)という作品があり、これは「ニュー・シネマ~」とリンクさせた邦題なのだが、原題は「ALL ABOUT EVIL(邪悪のすべて)」であり、当然こちらのほうがカッコいい。
オープニングで次々に映し出されるレトロなホラーやSF映画のポスター。問答無用にカッコいい。
主人公のデボラ・デニスは昼間は図書館で働きながら、父親が残したホラー映画専門館を経営している。夕方までは図書館員で、そのあとに支配人としてレイトショーを上映するというスタイルのようだ。
同僚のおばさんからは「ホラー専門の深夜映画館なんてまともじゃない。気持ちはわかるけどあそこに未来はない」と言われる。が、デボラは「父は劇場にすべての情熱を注ぎ込んだ。父は映画と劇場を愛していた。ショーは終わらない!」と、半ベソでおばさんに宣言。
正直に書くと、この冒頭シーンで不意打ちを食らってボロ泣きしました。
今夜の上映は『血の祝祭日』。くっ。スプラッタ映画の第一号であり、邦画における『男はつらいよ』の一作目と同じようなポジション、と書けばその重要性が伝わりますでしょうか?
足しげく劇場に通うホラーマニアのイケメン高校生・スティーブンとデボラは懇意だ。
上映直前、デボラは映画なんかにひとつも愛情を持っていない母親と「映画館を売れ」「絶対に売らない」と口論になり、衝動的に彼女を殺してしまう。
そして映画が始まらないので観客が騒ぎ出し、ずっと劇場に仕えている映写技師もたまたま留守でしたので、素人であるデボラは機材をガチャガチャいじりまわしていたら、先ほどの殺人シーンの録画が劇場に大写しとなり、それを観たスティーブンをはじめとする客たちが「すげえ!」と大興奮。
かくしてデボラは映写技師(どうやら潜在的なサイコじじい)や、街でスカウトしたサイコ兄ちゃん(矯正リングがクール)、精神病院を出たばかりの双子の殺人鬼姉妹(カッコかわいい)をスカウトして彼らをクルーに従え、次々と実際に殺人を犯しては撮影し、それを短編映画として上映すると続々ファンが劇場に詰めかけ、デボラはカルト映画監督として一躍、時の人となったのであった。

ええと、冒頭が素晴らしかったのであれなのだが、どうにも乗り切らない話であった。
そもそも目の肥えたホラーファンがパチモンのスナッフ・フィルムみたいなものに熱狂するってのが腑に落ちない。これは声を大にして言いたいのだが、ホラー・ムービーのファンはスナッフ・フィルムのマニアとイコールではないんだよ!
意外と思われるかも知れないが我々はちゃんとストーリーを追っており、そこでフックとして使われるショック描写に笑ったりゾッとしたりしている。
本当に残虐な場面が好きなら、ネットで首切り動画でも見ていればよろしい。
どうもいろいろ混同されると困っちゃうのだが、「ホラー映画の存在すら許せない」という人は(実際、80年代イギリスではビデオ・ナスティというバカ検閲機関のおかげで、店頭からホラーが姿を消した事がある)一度、劇場に足を運んでみればよい。
上映後、友達同士もカップルもみんなニコニコしながら出てくるから。ピース。

と、マイナス査定の作品なのだが、デボラの犯罪を知ったスティーブンが「お父さんはホラー映画を愛していた。それなのに君はなんだ。(自分はさんざん楽しんでたくせに)君に才能なんかない!」とキレるシーンがあるのでまあいいや。まあ許す!
そしてホラー好きというだけでスティーブンをテロリスト呼ばわりし、一連の事件を「犯人はあの生徒です!」と勝手に騒ぐ担任の女教師を一番バカっぽく描いていることには好感度大。バーカ!
コスプレ映画としてもイケてるし(特に双子姉妹がオシャレ)、かのジョン・ウォーターズ御大も絶賛とのこと。あと、スティーブンの友人であるヒロイン(恋人ではない)が、本当にかわいくない!なぜかというと嶋田久作にそっくりだから!
エンドロールにもこれまたカッコいいポスターが次々に現われては消えるのだけれど、よく見ると「フィルム・バイ・デボラ・デニス」とクレジットされていて、どうやらデボラが制作したという設定の「架空の映画ポスター」のようだ。
マニアックである。そして劇中に登場するディヴァインみたいなドラァグ・クーン、実はこの人が監督さん。
ショーは終わらないを地で行く人のようだ。うーむしょうがない。許す!


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