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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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ドライブ・アングリー中二



ひょっとしたら今も含め2000年代以降が、映画が最も充実している時代なのではないかと、最近思う。
50年代も60年代も70年代も革命は起こっていたが、80年代でドーンときて90年代がパーンなんつって(業界人みたいだが。しかしその周辺にいた人は本当にこういう喋り方をするのです)、2000年代はそれまでの貯金が爆発しているというか、ジャンル映画がかなり発掘されたので、それを観た連中が「オレもこんなの作る!」と、さらにメチャクチャをやり出したような。
ということで、いわゆる名作は「後回しでいい」と思う。それらは「教養」なので。
現在2016年。観るべき作品は困るほどある。刀鍛冶じゃないが鉄は熱いうちに打つべし。
面白いことは映画の中にしかないんだよな~としみじみ思う。もともと大していいこともないマイライフ、ま、そんなに悪いことさえなければ。

『ドライブ・アングリー』(2011)は実に志の高い作品。全編を覆ういわゆる中二感覚(下手したら小五くらい)を、立派な大人がちゃんと作っているからだ。
さていきなりネタバレですが、これはわかって観たほうが面白いはず。
主人公ミルトン(ニコラス・ケイジ)は「悪魔教の教祖に奪われた自分の娘を取り戻すために地獄から脱獄した死者」で、彼を追う「一応FBIと名乗る黒服男(ウィリアム・フィクナー)」は「死神」なのです!
ミルトンはピストルの弾が頭を貫通しても死なずにピンピンしている。そこにわき上がる「なんで?」の疑問が「オレは死んでるからだ」の一言で解決するという大風呂敷。
死神が放つ「言うこときかないとリストに加えるぞ!」や、二人組の若者に対し「次に会うのは君が70歳の時だが、・・・君は3日後だ」といった謎のセリフもわかっていれば「なるほど」と思う。
特に自分はこの飄々とした死神さんが好きで、カーステで有名なディスコヒットを聴きながら(ハミングしつつ)、水素ボンベを積んだ車で突っ込んでくるシーンは最高である。
そしてミルトンことニコラス・ケイジは(いきますよ!)「女と合体(ファック)したまま、襲って来る男たちを次々と射殺して返り討ちにする」という一世一代の名シーンがある。
しかも服も脱がずグラサン着用、さらに葉巻を咥えつつジャックダニエルをラッパ飲みという男らしさ!
松田優作の「メシ食いながらファック」や内田裕也の「ロールパン咥えながらのシャワー浴び」を越えるカッコよさである。
ミルトンと行動を共にする、ちょいビッチブロンド美人のアンバー・ハードもピチピチでよい。

この作品は『ドライブ・アングリー3D』として劇場公開。なのでやたらといろんなものが飛んでくるのだが、特に困ったのが死神が投げるコイン。
普通は投げたコインを受け取め「表か裏か、どっちか選びな!」みたいな展開になりますけど、本作はコインを投げる→受け止める→FBIの証明書を堂々と掲げるというギミックな流れで、ひとつでも多くの3Dを観客に楽しんで頂きたいというサービス精神なのだろうけど、うーん、バカみたい。
まあともかく、中二感覚とともに映画は疾走し、クライマックスはミルトンと教祖の対決となって、彼も人間じゃないので、ラストは大爆発します(多分劇場だとここも3D)。
粉々になった教祖の頭蓋骨で勝利の酒を飲むニコラス・ケイジがとてもクールだ(中二的には)。
どうやら興行的にはコケたらしいけど、『ドライブ・アングリー』の中学生スピリッツは永遠である。
「あのころの未来にあんたらは立っているのか?」と問われているようだ。


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スーパーふつう!!



自分を信じて~歩いていくのよ~とか、Jポップの歌詞は相変わらずそんなのばっかりで、完全に底が尽いてるというか、聴く方の感性がシンプルすぎるのか、もう本当にどうしようもない。聞こえがいいフレーズをループするのみ。
ちなみにそのフレーズとは「君を守りたい」「つないだ手を離さない」「隣で笑っていて」「同じ歩幅で」「出会えたキセキ」の五つ。
これらを使い回して「新曲」としているだけのどんづまり状態。まったく誠実さのかけらもない。
「僕らきっと強くなれるよ~」とかってのもあるな。しかも女の子に歌わせるんだよな。
もはや音楽じゃなくてデータである。ああそうか、「いかものがかり」や「ドブクロ」は、プログラマーとしては有能なのだろう。
あっファンキー下等!ろくでなしじゃんか。あのいかにもぼくイノセントだよといった歌唱に以前からイラついてはいたのだが大人なので黙ってました。
さわやか好青年に会うと「きっとこの人は鬼畜か変態に違いない。女子をぶん殴るか女子のシッコが好きかの二択だ」と思っていたので、それが件の騒ぎで確信になる。

といった、くだらないものとは真逆の、誠実さで満ち溢れている作品が2010年の映画『スーパー!』なのだった。
まずオープニングのアニメーションが素晴らしい。ちびまる子ちゃんといい勝負のチープな絵だが、70年代パワーポップ風の楽曲に乗せてスピード感は抜群。
悪役のケヴィン・ベーコンが串刺しにされてグッチャグチャになり、そこに立ち上がる「SUPER」のタイトル。最高だ。
幼児虐待や動物虐待も描かれ、それを行っている連中が主人公のヒーロー「クリムゾンボルト」によってグッチャグチャにぶっ殺される。
さらには敵も味方も殺す側も殺される側も一丸となってのダンス!感動的だ。
最後は全員、息が上がってゼイゼイ言っている。大人の鑑賞に堪えるアニメとはこういうもののことを指す。30回くらい観ちゃった。

主人公はコックのフランク(レイン・ウィルソン)。彼の人生の最高の瞬間は、美しい妻・サラ(リヴ・タイラー)と結婚できたこと。街で、逃走する犯人を追いかける警察官に「あっちです!」と教えたこと。以上!
これを絵に描いて壁に貼る。他にはろくな思い出がないが、このふたつがあれば生きていける。
ところがサラはかつてジャンキーだったので、イケメンのドラッグディーラー・ジョック(ケヴィン・ベーコン)の元に走り失踪してしまう。
フランクとジョックのファーストコンタクトが印象的。ぷらっとフランク宅に現われたジョックが「サラは?」。
いきなり人んちに上がりこんで人んちの嫁は何処だ?って話もないもんだとは思うが、フランクが調理中だったスクランブルエッグをご馳走になり「マジうめえ!あんたは卵料理の天才だ!」と絶賛。どうやら、根っからの悪人でもないみたいだ。
サラがいなくなったフランクは絶望するが、テレビのヒーロー番組「ホーリー・アベンジャー」(内容はほぼ「おはようこどもショー」)を観て神の啓示を受け(このシーンえぐいです)、自主制作なヒーロー「クリムゾンボルト」となり、サラを取り戻すためと街の悪を退治するために活動を開始する。

とはいえフランクは普通のおっさんなので、悪がどこにいるのかもわからず、まずはヒーローの研究をせねばならんと、アメコミを購入しに赴き、書店員のリビー(エレン・ペイジ)と知り合う。
で。これが問題なんだが、クリムゾンボルトとしての武器がでかいレンチなんである。
真っ赤なコスプレの大男がレンチで相手の頭をかち割って回っているという、端から見たら「マジキチ」。
しかも映画の行列に割り込みをしたカップルを注意したがコケにされ、わざわざクリムゾンの格好で現われ、二人の頭をレンチでかち割る(もちろん女性も!)という暴挙に出る。相手の男には「お前さっきの奴だろ!」とバレバレなので、着替える意味もなかったりする。

クリムゾンボルトの行動がニュースになったのち、書店員のリビーが正体を見抜き、自分も一緒に活動したいと、これまたやっすい衣装に身を包んだ女子ヒーロー「ボルティ」が誕生。
ところが、ボルティになることでリビーの残酷でサディスティックな本性が開花。とにかく人をボコりたくてしょうがないので「あいつは車に傷をつけた!悪人よ!」とフランクをそそのかし、相手の家で暴れた上、タガがはずれてあやうく殺そうとする。さすがにフランクもドン引き。
さらには敵といえども車で体当たりして「脚が粉々!きゃはははは!!」と高笑い。やべ、っていうか、もう最高。
二人はジョックのアジトに潜入し、サラの奪還作戦を実行することになるのだが、そのきっかけってのが、気分が悪くなったフランクが便器にゲロを吐き、そのゲロからサラの顔が立ち上がり「フランク・・・・」と呟くという、もうどうしようもなく最低なギャグ。
そこから先は血みどろのバイオレンス。最終的にジョックとフランクが向き合うことになる。
「オレを殺っても何も変わらない」と言うジョックに対しフランクは、「麻薬も割り込みも悪だ!」と自分を奮い立たせ、彼を殺すのである。でも・・・・やるんだよ!

この作品の原題は「SUPER」であって、日本では気を使って「スーパー!」になっているけど、スーパー・・・・なんなの?かもよくわからないくらい、「普通の人」しか出てこないのだ。
普通のコックとその妻、普通のマンガ売り女子、それ以上でも以下でもないであろう麻薬密売人が織り成す、普通の男が自分の信念に基づきムチャクチャをやりつつも妻を取り戻すという物語。
サラは最終的にフランクから去る。残された彼は壁一杯に今までの思い出を絵にして飾る。
切ないラストだけど、「このおじさんはもう過去に生きるしかないのかなあ」と思うと、さらに切ない。

監督のジェームス・ガンは低予算悪趣味映画の会社「トロマ」出身なので、さすがエンタメ精神がぶち込まれているなあと思う。
ちょっと前に観た『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014)も撮っていたのだな、知らなかった。
こちらもスペースオペラとギャグのバランスが秀逸な名作。
ほぼ犯罪者の連中が団結して地球を守るというアメコミ原作ものだが、主人公「スターロード」の宝物が(母親の形見の)「70年代ヒット曲ミックステープが入ったウォークマン」ってのが良いし、宇宙アライグマ「ロケット」(性格が悪い)と宇宙木人「グルート」(頭は悪い)とのコンビもいい。
まさかアライグマに泣かされそうになるとは思わなかったよ。







ギャグと恐怖の「シン・ゴジラ」



そもそも予告編で公開された彼の顔を見た時点で「おおおお」と思っていたわけである。
異常に小さな眼にメチャクチャな歯並び。それまでと全然違う、まるで融通が利かなそうな面構え。
どう見てもおかしい体のバランスは、わざとやってるとしか考えられない。
さらにタイトル文字。第一作と同じフォントを使用しており、実に「わかってらっしゃる!」。
『シン・ゴジラ』二回目の鑑賞は立川シネマシティ。振動もバリバリ伝わる極上爆音上映。死ぬほど素晴らしい企画で、もう吉祥寺は立川に負けたと言っても過言ではない。
先週も鑑賞したのだがあまりの情報量の多さゆえ「これはもう一度観なければならぬ」と思い、出向いた次第。
封切作品を二週連続で観に行くなんてことは生まれて初めてで、しかも「また観たい」と思っている。
ちなみに自分は『エヴァンゲリオン』というものをまったく通っておらず、「エヴァっぽい」とか「やっぱ庵野」みたいな風評はどうでもいい。まっさらな「ゴジラ」として鑑賞した。

散々書かれているのでここでもネタバレしてしまうが、最初に登場するゴジラが斬新過ぎる。
ウツボとトカゲの出来損ないのような巨大生物が「のたくりながら」街を破壊するのである。
「え?これゴジラ?」と驚愕し、初見はちょっとかわいいかもと思ったが、あの何も映さない大きな眼は非常に不気味であり「とんでもないことがはじまる」ことを予感させる、ゾクゾクするオープニングであった。
さらにゴジラは二足歩行に進化するのだが、この時のゴジラが非常に気色悪い。裂けた口の両端には赤い肉のようなものが残っており、ゴジラ史上ナンバーワンのキモさだ。何でもそうだが、変身の途中ってのが一番気色悪いのである。
完全形態を遂げたゴジラは再上陸。自衛隊や米軍ミサイルの攻撃をもろともせず、東京を破壊する。
背中から光線を放ってそこにあるものをすべてぶっ壊し(さすがに「ゴジラビーム」とかの呼称はなかったです)、口からも炎を吐いて(顎までばっくり割れるところがカッコいい)銀座を焼き尽くす!
もう泣きそうなくらいメチャクチャ感動したのです。どうやら「やってくれた!!」といった種類の感動であり、これが「ガメラ」じゃなくて「ゴジラ」という意味合いは大きい。
エネルギーを消費したゴジラは一旦停止。各国の核兵器は東京ごとゴジラに照準を合わせ、即席で集められた科学者チームは「燃やせぬなら凍らせてしまえ」と、ゴジラを凍結する「ヤシオリ作戦」実行のために奔走する。

これはとにかく「観たら語りたくなる」映画であり、ネットでも喧々諤々。
「会議シーンが長すぎる」から「面白くない」との声もあるようですが、自分は「あの長い会議シーンが面白いのに」と思う。
「想定外」で「前例がない」のでどこに「条令」を出していいのかわからず、大杉蓮の総理大臣も「え?マジで?」とうろたえるばかりで「巨大生物の上陸はない」と放送している最中にゴジラ上陸ニュースが飛び込んで総理びっくりするってのは完全にギャグだ。筒井康隆の小説を思わせる政治家たちのドタバタシーンは大いに笑っていいと思う。
「専門用語が多すぎてわけがわからん」ってのも難しく考えすぎで、そんなもん誰だってわからん。
ヤシオリ作戦を説明するシーンでも科学用語がダーッとえらい早口でまくしたてられるのだが、最後に「ゴジラを凍結させるんですね?」「そうそうそう」とまとめられているので、そこだけわかれば問題ない。無感情な早口や専門用語の羅列はハッタリ、と言って語弊があるならそれはグルーブであり、あの早口言葉が作品に妙なグルーブ感を生んでいるのである。
「内容が難しすぎて子供を連れて行けない」って、えーマジですかあ?と思うわけで、そもそも映画って背伸びして観るものではないか?
近頃、ガキ向け映画(失礼、ファミリー向け映画)の台頭が激しく、結局動員のあるものばかりが優遇されるということが非常に面白くないと思っているのですが、『シン・ゴジラ』はむしろ「子供に背伸びをさせる」という意味では最適のテキストである。
このゴジラは本当におっかないのでトラウマになるかも知れないけれど、それはよいトラウマなので。
ただし「お父さん、これ以外のゴジラは生ぬるくてみてられないよ」という弊害がおこる可能性はある。
「ホームドラマを入れなかった」ってのも大正解。登場人物を官僚や科学者に絞ったことが素晴らしくクールな効果を上げている。
「一般人の被災が描かれていない」?ちょっとだけ炊き出しや避難所のシーンがあったが、十分だと思う。我々は五年前、リアルに嫌というほどその映像を見ているはずなのだが、それでも足りないってか?
怪獣映画は長くても二時間!これ基本!!
「海外で公開された場合、向こうの観客に理解できるのか?」と言われりゃ、そんなの知るか!ファックオフ!で、いいと思う。
例えばタランティーノがアメリカのポップカルチャーを語るセリフを考えるとき、日本人の客のことなど頭にない。それでも我々は彼が仕掛けるショックを楽しみに劇場に行くのであって、『シン・ゴジラ』のエクストリームっぷりは海外の観客も度肝を抜くと思う。
2014年のハリウッド製ゴジラも、我々は十分に楽しめたのと一緒である。
というか、この作品を字幕なしで観られるというのは非常にラッキーなことで(日本人でよかった!)、たまには海外の観客に必死で字幕を追わせてやってもよろしかろうと思いますよ。

そして今回最も槍玉に上がっているのが石原さとみクン(29)。※写真週刊誌っぽく。
わたしは「やっぱり美人だなあー」とちょっと嬉しくなって観ていたのだが英語がダメ、演技がダメ、キャラが浮いてると散々なようだ。
基本、美人はいいものなので何も問題ないと思うのだが、ゴジラ映画ってのは一作目の河内桃子にはじまり必ず「美人がストーリーに絡んでくる」ので、本作の石原さとみクンもその定石のひとつということであります。
野郎とブスとババア(ああごめんなさい)だけで構成すれば更に硬派な作品になったのだろうけど、これはやはり映画なので、どこかにファジーな要素も必要ではなかろうか(というかこのキャラに関しては誰がやってもやいのやいの言われそうな気がする)。
イーオン仕込みの英語もカッコいいし、「さとみクンは問題なし!なにせ美人!」と、写写丸は思った。

二回観たという理由のひとつに「ひょっとして自衛隊礼賛映画?」という疑問がちょっとあって、そこを確認したかったのだが、そうではなかった。一回だけではヘタなことを書くところであった。
答えは簡単で、冒頭のゴジラ撃退がまるで役に立たないから。しかも発令がないと何一つ身動きがとれないという。「自衛隊はカッコいい」という描き方をしてはいない。
ラストのヤシオリ作戦でも一隊がゴジラの犠牲になり、「あれじゃ特攻隊」とか言われてしまいそうなんだけど、本作は怪獣映画であり災害の映画であり、犠牲者が出るのは必然なので、それでも「死を描くと不快に思う人がいる」ということのほうが悲しく感じられる。
『シン・ゴジラ』は一作目をスケールアップさせた正統派であると同時に、奇形的な作品でもある。
とにかくゴジラの手が異常に短い。ビルを崩すことも出来ないくらいに機能していなさそうな華奢な手だが、厄介な武力は過去最高。手などきっと必要ないのだ。
(そしてあの小さな手は「怪獣プロレスの否定」の意味もあると思う)
登場人物たちはいやあ困ったなあと思いつつも、彼を「化け物」「悪魔」呼ばわりをせずに「超越した存在」として、ある種の尊厳を込めて立ち向かう。
完全なる「破壊神」の誕生。初代ゴジラを引きずるファンが観たかった映画が、まさにこれなのだ。
尻尾に関してはどうも先端がちぎれているように見えて(生き物の尻尾は基本的に先端が細くなっている)、これはラストのアレと何か関わりがあるのかと思ったがそこは解明されず。
「アレ」についてもいろいろな論議を呼んでおり、なるほどこいつが庵野監督の手腕かと、割と素直に感心する。
凍結されたゴジラが再び動き出さないとも限らず、いろいろな余韻を残すラストで、「続編があるのかなあ」と思うと非常にビミョーーーなところだ。打ち止めにしてほしいってのが本音。
自分の場合、89年の復活ゴジラを劇場まで観に行って、そのビミョーーーな出来にしょぼんとなって、それ以降の平成ゴジラは全部スルーという経緯があるので、できれば不毛なサイクルはやめていただきたいと思う。
それよりもあれだ、この制作チームでヘドラ作ろうよヘドラ!シン・ゴジラ以上に絶望感を与えてくれるのはもはや、ヘドラしか残っていない。ヘイルヘドラ!

長くなってしまったが最後に在来線爆弾最高!と、言いたい。
ゴジラに突っ込む無人の山手線や京浜東北線の映像に、かの名曲『怪獣大戦争マーチ』が流れるという、ある意味ねじくれまくっているけど最高のセンス!
『シン・ゴジラ』は史上最もギャグセンスがある怪獣映画だ。
エンドロールには巨匠・伊福部昭のゴジラ楽曲が四曲も流れるので絶対に席を立たないように。
日本最高の音楽を劇場のスピーカーで体験しよう。そしてもう一度足を運ぼう。
ついでに1954年の『ゴジラ』も観よう。
以上です。

海には行かない、サメが出るから。



夏だ!海だ!サメの季節だ!!
というわけで話題の映画『ロスト・バケーション』を鑑賞しました(@新宿ピカデリー)。
満潮になってしまう岩場に取り残されたサーファー女子医大生対サメ、というシンプルな映画。
サメ映画は最近ギミックだらけのものが多くなり(それはそれで全然いい)ここまで正統派なものは珍しいのではないか。書くとほぼネタバレになってしまうくらいシンプルなのだが、かなり魅せる。
隣の女子高生はタオルケットを鼻の下までかぶってビビりながら観ていました。実際、これどうやって助かるんだ?というくらい主人公は何も持っていないのである。サメもリアルな大きさのやつが一匹登場するのみ。
このシンプルさでも惹きつけられるのだから、スピルバーグの『ジョーズ』公開時の観客のショックと興奮を考えると、まったく羨ましいやらなんやら。
ギミック系の最高峰はやはり『シャークネード』だろうか。竜巻で巻き上げられたサメの大群が空から降ってくる、というゴキゲン度MAXな作品。
パート2しか観ていないのでなぜサメだけが巻き上げられるのかよくわからんのだが、これがマグロじゃあまり映画的に盛り上がらないということなのだろうな、きっと。
浸水の逆流により地下鉄や建物からもサメが現われるし、主人公はトルネードを爆弾で消し去ろうとする。
理系のことはちんぷんかんぷんなのでよくわからんのだが、そういうものなんですか?
しかしラストのニューヨーカーたちが一致団結してサメと戦うシーンには胸が熱くなり、涙を禁じ得ない。
チェインソーとかで「降ってくるサメ」をぶった斬っていくところとか最高だ。
サメとタコが合体した『シャークトパス』ってのもあるなあ。割と残酷っぽいようだがあのアホアホなルックスは何なのか。いずれDVDに手を伸ばしてしまうのでしょう。お、三作も作られてる。
それにしても、サメはでかくて背ビレが立っていて人間を襲うのでカッコいい。サメファンである。
国立科学博物館でやってる『海のハンター展』も行きたいなあ。
この日は『シン・ゴジラ』も観たのだが、コレに関しては明日のイベントでみんなでトークしたい。と。思いま。す。
明日は5時ごろで看板です。よろしくお願い致します。http://fourthfloor.sub.jp/


ブラックジャックは加山雄三がベストだ!



かのカルト・テレビ・ドラマ『加山雄三のブラックジャック』。この作品を全話鑑賞というラッキーな機会に恵まれたのである(一話だけ問題ありとされるエピソードがあり、それは欠番。恐らく現在、公式には出回っていない)。
自分はリアルタイムで観ていたのだけど、この番組は人気がなかった。人気なかったなあ。
加山雄三なのにブラックジャック。お茶の間で放映するにはアングラ。この矛盾点をどうにかしようと、脚本のジェームス三木ががんばっている。
のだが、そこに奇妙な軋轢が生まれて何とも妙てけれんな雰囲気。
昼間は画廊のオーナーとして登場する「坂東社長」の正体はブラックジャック。
テレビとしてはやはり「ユーゾー感」も残さねばならないという配慮か。キャラはそのまんま若大将であり、しょっちゅう行方不明になっているのだが、その時間こそ彼がブラックジャックとして活躍している。
という感じで基本設定をいじくってしまったため、原作ファンからのブーイングも多いと聞く。
「坂東さん」でいなければならない本当の理由は、「BJは某国の要人の首のすげ替え手術を行ったため、秘密を握った諜報機関から命を狙われている」ので、正体を隠す必要がある、というもの。
相違点は他にもある。BJには執事がいて、その下の助手がいて、さらにピノコまで登場するという大家族なので孤独感ゼロ。ちなみに執事はBJのことを「若旦那さま」と呼ぶ。
最も原作とかけ離れているところ。それは、ブラックジャックが「天才外科医」であるということ。
重要なキーワードである「無免許医」が抜け落ちてしまったのである。まあ、テレビドラマの倫理観では「モグリはまずい」ってことで、致し方のないところだろうか。
さらに妙てけれんテイストとしては衣装デザイン担当・コシノジュンコの暴走がある。
ピノコのファッションが宇宙人みたいなセンスだし、原作では普段着はベストを着ていたりとラフな格好もするBJだが、雄三ジャックは家の中でもマント着っぱなし!彼は常に緊張感を漂わせているのだ、という演出かもしれないがちょっと笑っちゃいますね。
そうかつまり、テレビの枠としては「前髪ボッサボサでいっつも重たそうな黒マントを着ているスカーフェイスおじさん」が常に画面に映っているというのも目に優しくないので、画廊オーナーとの二役という設定は正解だったのかも知れない。
あと、手術室の壁に描かれているサイケなペイント。患者に不安感しか与えない感じがなかなかイイ。

番組のオープニングは天井桟敷チックなアングラダンサーが踊る中、スモークから登場するBJというぶっとんだもので、しかもナレーションが田中邦衛。
そして毎度毎度雄三ジャックから「この世に果たしてロマンはあるか?人生を彩る愛はあるか?」と、問いかけられちゃうのである。
エンディングはペンキが滴る画面に流れるヒカシューの『ガラスのダンス』。ナイスチョイスですが、テレビ番組の主題歌に巻上公一の歌が使われたってのも前代未聞(たぶん)。
かなり歪な作品だけど、ドラマ的には原作に忠実に作られており、とても面白いのである。特に『魔王大尉』や『灰色の館』みたいなハードなものをよく制作したもんだ、と思う。
オリジナルのキャラとしては画廊の秘書「ケイコ」役の秋吉久美子が好演。際立った美人ってわけでもなかっんだなあとは思うけど、アンニュイかつおきゃんな雰囲気がドロドロしたムードを中和しています。
BJを追う「倉持警部」役の藤岡琢也は、手塚作品のレギュラー・ヒゲオヤジに近い感じで、これも好演。
その後、モッくんや若手俳優が実写版BJを演じたがちょっと線が細くないかい?という感じだし、VシネBJはハゲてるし、大林宣彦の映画版で宍戸錠演じるBJは顔が半分真っ青!
つまり「少年チャンピオン」の単行本カバーをそのままやっちゃったのですね(これには手塚先生も激怒したらしい)。
結局なんだかんだ言っても、加山雄三版がベストなのではないか。日本人で「ブラックジャック」を嫌いな人はいないし(いれば非国民)、加山雄三が嫌いな人も、恐らくいないのである。
ネットの情報だけでわかったような気になるなバカにすんなってことだ。っていうか、観られないのか。へへーんだ。
当初はなぜこのタイトルなのかと思ったけれど、これはやはり俺ジナルな、加山雄三「の」ブラックジャックなのだった。






あ、8月6日のイベントもよろしくお願い致します。

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